吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

クリストファー・ノーラン監督『メメント』(2000年アメリカ)

2020-09-24 05:47:11 | 映画・ドラマを観て考えよう
 TV放映されたのを久々に見返してやはりこれは傑作だと思いました。


※クリストファー・ノーラン監督『メメント』(2000年アメリカ)

 主人公は前向性健忘(発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ忘れてしまう症状)という記憶障害に見舞われています。直近の記憶が10分で消えてしまうため新しいことが覚えられないという症状です。

 こんな症状の男が、最愛の妻を殺した犯人を追って復讐しようとする物語ですが、そもそも可能なんでしょうか?人に会ってもそのことを忘れてしまう、証拠を集めても忘れてしまう、これで犯人を捜すですって?無茶です。

 しかし主人公は不屈の執念で、記憶の代わりに膨大なメモを使って犯人を捜し続けます。
 全てのことをメモを書き留め、会った相手はポラロイドで写真を撮ってそこに情報をメモ書きします。


※テディ(と書かれている)が映った写真の裏には『こいつの嘘を信じるな』というメモが・・・。

 メモがないときどうするか?とりあえず手に書いておくのはよくある話ですが、この主人公は忘れてはならない大事なことは体にタトゥーを刻みます。
 毎朝、眼が覚めたらまずタトゥーを確認して、それを手掛かりにして犯人を追っていくのです。 

※テディ(と名乗る人物)を相棒にして犯人捜しをする主人公。

 この映画は主人公の記憶の持続の限界に合わせて途切れる話を徐々に遡って映像化していきます。冒頭主人公がピストルで撃った人物が、だんだん『何故殺されるに至ったのか?』を解き明かしていく構造になっています。

 主人公は自分の症状を毎日何十回も同じ相手に話していますから、相手は主人公の症状を知ると、それを利用しようと考えます。話したことと異なる証拠を渡しても主人公にはそのことが判別できなくなってしまうのです。

※ポラロイドカメラで撮った写真とそこに書かれたメモが彼の記憶の代わりをする。

 記憶は次々と無くなってしまうので、メモを書いたときの意図(何故こんな文言を書いたのか?)は忘れられ、記録されたメモの内容だけが「事実」として積み上げられ再構成されていきます。真実はどんどん変容し、歪ませられた結果が積み上げられたとき、人はいったいどんな結果に辿り着くのか・・・。
 
 そして映画のラストで『そうだったのか!』と全てが明らかになったときの衝撃・・・主人公はこれからも永遠に妻を殺した犯人を捜し続けるのでしょう。
 記憶というものがいかにあやふやなものなのか、人間はいかに過去を美化し記憶を改竄し続ける存在であることか、を実感させてくれる映画です。
 ぜひご覧ください。オススメします。






蒼伊宏海『渋谷金魚9』ガンガンコミックスJoker(2020年8月21日初版発行)

2020-09-16 04:54:51 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 すいませんねえ、またまたキモチ悪いマンガなのです・・・第9巻。

※蒼伊宏海『渋谷金魚9』ガンガンコミックスJoker(2020年8月21日初版発行)

 ・・・書店員がこの本の紹介POPを書こうとチョイ読みしたら、あまりの恐ろしさにコシが抜けた()という問題のコミック・・・人を襲って喰う、空飛ぶ巨大金魚パニック大作!(・・・画がリアルじゃないのが救い)です。


 突然変異を繰り返す巨大金魚たち、金魚のワクを超えて『何だかワケの分からないモノ』になりつつあります。その進化の先にある究極のカタチとは?


※突然変異を繰り返し進化する金魚たち、その究極のカタチとは?

 第8巻で『金魚から生えた手足は少年のもののようだった』と言ってましたが、それがある少女の双子の兄のものらしいことが明らかになってきます。
 金魚たちはその少年をふたたびこの世に生み出そうとしているのか?
 金魚たちを絶滅させる病原体を完成させることはできるのか?
 金魚たちが出てきたという大地に開いた大穴はいったい何なのか?

※病菌に犯された金魚(於日本橋アートアクアリウム美術館)

 いよいよ最終章クライマックスです。






山田正紀『恍惚病棟』祥伝社文庫(2020年7月20日初版第1刷発行)

2020-09-04 05:55:41 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 『認知症』という言葉が広まったのは1994年のことだといいます。
 この本は3度めの文庫化で初出は1992年なのです。まず、そのことに驚かされます。
 それまで『認知症』は『老人性痴呆症』と呼びならわされていたのです。
 認知機能に対する症状という括りであるのはもちろん、『痴呆』に差別的な響きを感じ取ったヒトたちが、これを何とかしようと思っての命名だったと思われます。
 この小説では、認知症の老人たちが住まう老人ホームで次々と殺人事件が起こるというケースが扱われているのです。

※山田正紀『恍惚病棟』祥伝社文庫(2020年7月20日初版第1刷発行)

 カバーの紹介文は次の通りです。
 聖テレサ医大病院の老人病棟に入院している認知症の老婆が突如、行方不明になった。近所で倒れているところを病院アルバイトの学生・平野美穂が発見するが、直後に老婆は死亡。やがて同じ病院の老人が次々に不可解な事故に巻き込まれていく。不審に思い、調べ始めた美穂は「死者から電話がかかってくる」という奇妙な証言を老人たちから得るが・・・。驚愕の医療ミステリー。

※『亡くなったはずの身内からの電話を受けた』と老人たちは証言する。

 さて、推理小説とは『証拠の積み重ねによって、巧妙に仕組まれた犯罪のトリックが暴かれる』その快感を求めて読み進むものですが、これらの本の中には読者をミスリードする証拠が巧みに散りばめられているものがあります。

 アガサ・クリスティーの作品にどうも私が馴染めないのは、誤った証拠をさも真実めかして差し出されてしまうからで、物語の最後によくある『実は誰それの証言が嘘だった』などという種明かしは『トリック以前の反則ではないか?』と子供ゴコロに憤ったものでした。

 当然、大人は嘘をつくものですが、では老人はどうでしょう?
 認識していることが事実とは違う、こんな場合も多いと思われます。

 現代のミステリーにはこうした『認識の信憑性』を取り上げたものも多いのです。

※京極夏彦『姑獲鳥の夏』講談社文庫(1998年09月14日発行)

 京極夏彦『姑獲鳥の夏』などはその典型で『主人公の目の前に死体が転がっていたのに異常な心理状態のために気がつかなかった』というトリックは果たして『アリ』なのか、議論を巻き起こしたものでした。

 本作(恍惚病棟)の証言は認知症を患った老人によるものとなっています。
 当然、事実は歪曲され誤認され、実に不確かな証言の数々が現れます。
 きちんとした証言のように思って読んでいると突然『私のほんとうの年齢が65歳だなんて、よくそんなことがいえたものだ。わたしはまだ22歳の処女なのだ』というフレーズが出てきて『認知症老人の主観で述べられた証言』だったことを思い知らされます。
 当然、事件はいったい何が起こっているのかも判然としないまま進展します。まるで悪夢です。

※アルツハイマー型認知症のおもな症状

 老人ホームでおもちゃの電話を使って脳の活性化を促している自称『テレフォン・クラブ』の老人たちが次々と亡くなります。事件なのか事故なのかも判然とし難い状況の中では、推理を進めてもその根拠自体がゆれ動く・・・これでは事件の全貌などわかりっこありません。


※老人たちはそれぞれ『テレフォン・クラブ』でオモチャの電話を使って自分だけの会話を楽しんでいる。

 しかし認知症老人たちは、まるで荒唐無稽な話をしているわけではなく、本人にとっては実に意味のある叙述をしているのです。その意味が分かり、事件が繋がっていくと、実に意外な事件の真相が明らかになります。
 現れてくる真実・・・️パソコンや携帯電話がまだ一般に普及していなかった時代に既にこんなことを考えていたのかと、作者の慧眼に驚かされます。

※ジグソーパズルがピタッとハマるように事件の全貌が明らかになる

 2020年という未来(現代)をも先取りした『アッ‼️』と驚く事件の真相にはただただ感嘆します。ぜひ読んでください。オススメします。


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