ベストセラー『在宅ひとり死のススメ』に先行する作品ですが、これが文庫化され、版を重ねています。
上野千鶴子『おひとりさまの老後』文春文庫(2021年8月10日第26刷)
要は『結婚していようがいまいが、だれでも最後はひとり』という著者の主張が世に出た本になるだろうか。
もちろん結婚してもパートナーと同じ時に死ねるワケではない。子供だってアテにはならない。亡くなって誰にも気づかれず、かなりイタんだ状態で発見されるのは人様に迷惑でもあろうから、密でマメなコンタクトを取る人間関係を作っておくようにする等、今となっては常識的なことが書いてあるワケです。
死んだ時に備えて生きているうちに(迷惑を掛けない範囲で)自分の希望は伝えておきましょう、そういうことを勧める本です。
(こ2らは本の内容から離れて私の感想です。)
『ヒトはいつか必ず死ぬ』これは大昔から語られてきた哲学の命題です。古代ローマの遺跡にも『メメント・モリ(死を忘れるな)』と書かれたモザイクが残っています。
ヒトはすべて生まれた時から執行期日未定の死刑宣告を受けているのです。
それを思えば一日一日を大切に生きようと思えてきます。
さて、死んだらヒトはどうなるのでしょうか?あの世ってあるのでしょうか?
もし、そんなものがあったとしたら有史以来亡くなった膨大なニンゲンで、いまやギュウギュウの満室状態(❕)ラッシュ時の満員電車もかくやという密の極みに違いありません。ありえないですね。
東洋の考えのように『輪廻転生するなら、プラスマイナスが均衡してありえる』かも、ですが、キリスト教のように『最後の審判』を待っているなら『全部でいったい何千兆人やねん❗』とツッコミを入れたくなります。
私は大病をして一時『死』を身近に感じましたが、その感覚からいえば『スイッチが切れたように』完全なブラックアウトでした。夢も見ず、気がついたら病院のベッドで目覚めていました。
ニンゲン死んだら無になる、が私の実感です。たぶん本当に死ぬときには脳の細胞が酸欠で死滅するワケですから、一種のエクスタシーを感じて気持ちいいはずです(タバコを吸ってクラッとするカンジ?ランナーズ・ハイとかに近い?セックスのエクスタシーも含めて、これらはすべて脳の酸欠状態が作り出す快感なのです)。
で、死んだら火葬場でアタマからバーナーで焼かれて灰になります。これでジ・エンド。死んだら意識もないのでただ灰になるだけです。
で、死ぬときは意識がなくなるので、実際にはヒトは死を体験しません。一人称の死は体験できないのです。
哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉を掲げてこの記事の結びと致します(↓の写真をご参照ください)。
皆さんも『避けられない死』について日頃から考えておくようにオススメします。