吉良吉影は静かに暮らしたい

植物の心のような人生を・・・・、そんな平穏な生活こそ、わたしの目標なのです。

MIKA『The Origin of Love(ジ・オリジン・オブ・ラブ)』

2018-01-31 12:13:04 | 洋楽邦楽を問わず音楽はイイ
 『声質がフレディー・マーキュリーに似ている』と聞いて早速購入。



 いやー、明るいですワ。脳天気なフレディーといったところですか、ひたすら明るいラブソング。
 たまにはこんなのもイイかも、と聞いていたら、いささか疲れた。
 やっぱり私には、少しカゲのあるアーティストの方が向いてそうです。

1."Origin of Love"
2."Lola"
3."Stardust"
4."Make You Happy"
5."Underwater"
6."Overrated"
7."Kids"
8."Love You When I'm Drunk"
9."Step with Me"
10."Popular Song" (featuring Priscilla Renea)
11."Emily"
12."Heroes"
13."Celebrate" (featuring Pharrell Williams)

オススメはドラマチックな展開の"Underwater"(と、その次の"Overrated")あたり。

ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(第4章)

2018-01-29 08:57:55 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護



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 さて、とうとう第4章です(ここでやっと全体の半分です)。

4   考えとは、有意味な命題のことである。

4.001 命題たちの総体が、言語である。

4.002 人間には言語を構築する能力がある。(後略)


 ここまでは前回の内容を敷衍しています。
 そして、ここで唐突にヴィトゲンシュタインの爆弾発言が登場します。

4.003 哲学的なことについて書かれてきた命題や問いのほとんどは、まちがっているのではなく、ノンセンスである。だから私たちは、その種の問いに答えることなどできっこない。ただそれらがノンセンスであると確認することしかできない。哲学者たちの問いや命題のほとんどは、私たちが私たちの言語の論理を理解していないことにもとづいている。
   (それらは「善は美と、程度の差はあっても同一なのか」というような問いである)
   そして、もっとも深い問題が、じつは問題ですらないということも、驚くべきことではない。

4.004 すべての哲学は言語批判である。(後略)

 何ということでしょう。今まで2千年以上に亘って哲学者たちを悩ませてきた数々の問題は「言語の論理を理解していないこと」による「ノンセンス」だと言うのです。

 さらにヴィトゲンシュタインの持論が展開されていきます。
 『日常言語では同一の言語が異なった様式で用いられることがあり、そこから哲学全体に見られる基本的な混同が発生する。これを克服するには論理的文法を持った記号言語を構築する必要がある。』と。

 これまで読み進めてきた内容から考えると、こうです。
 『可能的世界は論理空間に余すところなく射影されている』ので『全てのものは言語で描写されている』のです。
 『問いを発した時には、すでにその答えまで存在する』ワケです。よって『答えられない問い』は、そもそも『前提条件が間違っている』という主張です。


※可能的世界は全て論理空間に射影されている・・・しかしその網から漏れたものはないのだろうか?

 そのうえで、哲学の目的を次のように定めるのです。

4.112 哲学の目的は、考えを論理的にクリアにすることである。(後略)

4.114 哲学のするべきことは、考えることのできるものの境界を決めると同時に、考えることのできないものの境界を決めることである。哲学のすべきことは、考えることのできるものによって内側から、考えることのできないものを、境界の外に締め出すことである。

4.115 哲学は、言うことのできるものをクリアに描くことによって、言うことのできないものを指ししめすだろう。


 ええっ!?そうなの?と驚きながら次回へ(つづく)←第5章へ進みたい方はこの文字列をクリック!


篠田真由美『睡蓮のまどろむ館(イヴルズ・ゲート)』角川ホラー文庫/平成28年5月25日初版発行

2018-01-27 20:07:13 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護
 予備知識なしでイキナリ読み始め、途中で間違いに気づきました。これってホラーだったのだ!



 拙ブログを何と篠田真由美先生(本人)にご訪問戴いたのでサッソク購入したこの本、よく見れば表紙にハッキリ『角川ホラー文庫』って書いてあるじゃない。
 すいません、途中まで密室殺人ミステリと思い込んで読んでました。で、登場人物のアリバイに注意しつつ読んでたワケです(アハハ~!失礼しました!いや、スッゴク失礼だと思います。ごめんなさい)。
 何といっても設定が、八角形をした通称『埃及(エジプト)屋敷』にまつわる首なし死体殺人事件とくれば、私なんかは当然のように『エジプト十字架の謎(エラリー・クイーン)』や『三角館の恐怖(江戸川乱歩)』がパッと脳裏に浮かんでしまうのですよ(話が脱線するけれども、どうしてエラリー・クイーンの作品はあまり映像化されないのだろう?アガサ・クリスティーやコナン・ドイルの作品をもとにした映画やドラマはイッパイあるのに?)。

 で、この話は異界から侵入しようとする異形の者たちからこの世界を守る話だったのですね。
 あー、途中で気が付いた時は赤面モノでした。これは一種のクトゥルー神話体系(的な小説)なのです。
 特定の場所に異界への門『イヴルズ・ゲート』が開き、邪悪なモノたちがこの世界への侵入を試みる・・・イヴルズ・ゲートを描写してみるならば、ハガレンで『あっち側へ持って行かれる』と言っていた門や、吉良吉影が引き込まれた『振り返ってはいけない路地』のような感じでしょうか?異界からの侵入者たちは、この世界の住人を利用して『イヴルズ・ゲート』が開くよう仕向けます。

 これに対抗するのが『腐れ縁コンビ』。トリノのエジプト美術館に努める考古学者で端正な面持ちのルカ・ローゼンスタインと、比較宗教学専門のワイルドな御子柴夜刀。通常関わりの薄そうなこの二人が腐れ縁になるには、もっと濃密な関係性が必要かな~と思います。出会いについてはたぶん別の話で語られる予定で、第一作で既にお互いを腐れ縁だと自覚しているようです。

 招待された埃及(エジプト)屋敷では、霊媒の素質を持っていた少女(が成長した女性)たちも招かれ、どうやら怪奇現象を解き明かす実験?が試みられる様子。この辺は『ヘルハウス』的展開です。

※ご参考『ヘルハウス』予告編(←リチャード・マシスン原作「地獄の家」を映画化)


 埃及(エジプト)屋敷とは研究者であった持ち主がエジプトから発掘した壁画を非合法に持ち出して日本国内で岩窟神殿を再現した建物なのだそうです。この建物内で起こる怪奇現象の数々(前の持ち主は密室内で首なし死体となって発見されたらしい)。果たして腐れ縁コンビは異界からの侵入をくい止めることができるのかっ?

 こんな感じです。うーん、ホラーって難しい。筋を通る説明をしてはいけないし、いかに怪異な現象を起こしてさらに現実味を持たせるか・・・って困難に挑戦し、緻密な描写で成功しています。多少気になる点も無いではナイですが、楽しめます。

註)気になる点

①天災と原発事故により本州が人の住めない地域になっている設定は必要なのでしょうか?パラレル・ワールドの話にしなくても物語は成立すると思えるンですが・・・。
②狂言廻し二人の関係性が希薄すぎるのに、しょっちゅう会ってる設定はムリっぽいかと?
③腐汁が館の中に散らばるシーンはちょっと唐突かな~?と。怪異現象は現実の物となる証拠を残さない方が怖くないですか?

ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む(第3章)

2018-01-18 06:13:35 | 紙の本を読みなよ 槙島聖護



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 さて、第3章です。この章で新たに『命題』という言葉が登場します。

3.1 命題では考えが感覚的に知覚できるよう表現されている。

3.11 私たちは、命題という感覚的に記号(音声記号とか文字記号など)を、可能な状況を射影したものとして利用する。
   射影という方法は、命題=意味を考えることである。

3.12 私たちが考えを表現する記号のことを、私は命題記号と呼ぶ。そして命題とは、世界と射影関係にある命題記号のことである。


 実にいろいろな名前が出てきました(いささか混乱してきましたので)・・・これまでに分かった範囲を図示してみます。



・・・となります。

(図の左側、下から上へ)・・・このあたりが第1章
 一方(左)に世界があり、世界を分解すると複数の事実になります。
 いっけん複雑に見える事実も実は要素的事実が結合したものであり、事実は事物の状態を示しています。

(図の中央、矢印の部分)・・・このあたりが第2章
 事実を考えるとは、事実の写像をつくることである。
 簡単に言えば「言語化する」でイイのですが、この後(第4章)で、いかに言語というものが不完全であるかが指摘され、記号論理学の提唱をみるワケです。

(図の右側、上から下へ)・・・このあたりが第3章
 他方(右)は論理空間になりますが、事物を指し示すのは名前であり、事実の射影は命題になります。
 要素的命題を組み合わせたものが複合的命題であり、無数の複合的命題によって論理空間が成立します。

 見慣れない語句が出てとっつきにくいでしょうが、犬の図とそれに対する記述の例文を頼りに読んでいくとイイと思います。

 これで可能的世界と論理空間はピッタリと一致しました。



 さらにヴィトゲンシュタインは論理を展開していくのですが、ここまで読み進めてくると、何となく「世界」というものに「論理」の網が掛かってきたような気がしませんか?

 ここにヴィトゲンシュタインの狙いがあるのですが、それは第4章まで読み進んだときの楽しみと致しましょう。

 (つづく)←懲りずに第4章に進みたいと思ったヒトはこの文字列をクリック!。


フランシス・フォード・コッポラ『ゴッドファーザー』part I,part II,part III

2018-01-09 05:56:06 | 映画・ドラマを観て考えよう
 お正月は衛星放送で放映されていたゴッドファーザーを"part I"から"part III"までを三日間連続視聴したのだった。

 通しで観ればコルレオーネ・ファミリー盛衰記になってる。特に三男マイケルの一代記だよね。



 シシリー出身のヴィトーは故郷で敵対するドンに命を狙われアメリカに移民するや、腕と度胸で名を上げてファミリーを作りドンと崇められるようになる。
 ところが何せこの人たち、血の気が多いもんだから、邪魔な相手はすぐ『ぶっ殺せ!』と短絡してしまう。
 禁酒法時代はそれで通ったけれど、だんだんと世の中が変わって、もう血の復讐(ヴェンデッタ)なんて時代では無くなっても、伝統的に殺し合いが続いてしまう。
 三男のマイケルはそんな生活が嫌だったんだけれども、否応なく巻き込まれ二代目を継承。真面目な性格から『裏切り者は容赦なく殺す』徹底ぶりで恐れられ、実の兄まで粛清し、とうとう最愛の妻とも別れる羽目に・・・。
 心の中では常に『足を洗いたい』と思い続けているンだけれども周囲がそれを許さない。敵を殺し続け、娘まで殺され、最後は孤独に死んでゆく。


※三男マイケルを演じるアル・パチーノ

 久しぶりに観直して、しみじみと良かった。

 ヴィトーはトマト畑で、マイケルは中庭で、どちらも静かに死んでいく(殺されなくてヨカッタね)のだけれど、ヴィトーが孫と遊んでいる途中で亡くなるのに比べると、マイケルを看取るのは飼い犬だけという侘しさ。どんな大きい組織を率いても、人間やっぱり死ぬときはひとりぼっち。

註)マイケルが組織を合法化しようと最後に手に入れようとしたのが『インターナショナル・イモビリティ』なる巨大不動産会社。このあたりは同じ移民のトランプ大統領と重なってくる。
 
註)今見ると各シーンに『どこかで見たような』既視感が・・・。それは逆でどれだけ多くの作品がこの映画からヒントを得たかの証なのです。