ヒトはあらゆるものに理由を見出だそうとします。究極は『人生の意味は何ぞや(私がこの世に生まれた意味は)❔』と問いかけ、何らかの答えを得ようとします。答は決して得られません。ヒトの価値が決まるのは人生が完結したときですから、問いかけた本人はすでに死んでいます。
今回ご紹介するこの小説では、連続殺人に対する問いかけ『なぜ、連続殺人は行われなければならなかったのか❔』これが最大の謎になっています。
※山田正紀『灰色の柩(放浪探偵 呪師霊太郎)』祥伝社文庫(令和3年7月20日初版第一刷発行)
前作『
人喰いの時代』で活躍した呪師霊太郎(しゅしれいたろう)が再びの登場です。小樽の街にいた霊太郎は東京に舞い戻り、今度は九州の柳川で北原白秋にまつわる事件を手掛けることになります。
題名『灰色の柩』は白秋が廃市と呼んだ柳川の沈んだ街並みを表す言葉になっています。江戸時代は物流を担った運河も、昭和になれば観光資源以外の価値を失って、ご多分に漏れず柳川も活力を無くした街と化しています。この点、小樽とも共通する要素があるようです。
※柳川の水路
推理小説とは極めて科学的・分析的な作品なのです。
ものごとのあらゆる可能性を検証して『不可能なものを除くと(それがどんなに驚くべきものであっても)真実が明らかになる』という、科学や理性に対する絶対的な信望が基礎になっています。
顧問探偵シャーロック・ホームズはその典型です。
私がアガサ・クリスティーの作品をあまり好きになれないのは、『ヒトは嘘をつく』という原則が根底にあって、確かな証言や事実だと思っていたものが簡単にひっくり返されてしまうストーリーに、読者に対する公正さを感じられない所為だと思っています。
さて、この小説では、北原白秋の不気味な童謡にしたがって殺人が行われるのですが、考えてみれば、このような『見立て殺人』ほど非効率なものはありません。なんとなれば、殺人を予告することになってしまい、相手は用心するに決まっていますし、さらに殺し方まで制約を受けてしまうのですから。
しかし、実際に見立て殺人が行われれば、これ程不気味なものはありません。全く意味不明です。童謡の歌詞をなぞるように殺人が行われ、被害者の掌を開くと死んだ金魚が零れ落ちる・・・。殺人という重大事を行うのに、なぜこんなことをする必要があるのでしょう❔単純な物取りや怨恨の方がまだ理解可能です。
北原白秋の童謡『金魚』とはこのようなものです。
母さん、母さん、
どこへ行た。
紅い金魚と遊びませう。
母さん、母さん、
さびしいな。
金魚を一匹突き殺す。
まだまだ、帰らぬ。
くやしいな。
金魚を二匹締め殺す。
なぜなぜ、帰らぬ。
ひもじいな。
金魚を三匹捻じ殺す。
涙がこぼれる、
日は暮れる。
紅い金魚も死ぬ、死ぬ。
母さん怖いよ、
眼が光る。
ビカビカ、金魚の眼が光る。
いやいや不気味です。
しかも、この時代を代表する詩人である北原白秋がこんな童謡を作っていたとは実に驚きです。
この謎を解きに登場するのが(放浪探偵)呪師霊太郎なのですが(颯爽として、ではなく)いかにも怪しげな人物として登場します。なんと言っても、被害者の部屋で散らばった現金を掻き集めているところをヒロインに目撃されてしまうのですから。
その後ちゃんとした理由があったことが説明されますが、これでは第一印象悪過ぎます。
解決してみると、見立て殺人だと思い込んでいた事件の新しい面が明らかになりアッと驚くことでしょう。
鮮やかな推理とともに、私たちの先入観がいかに正常な思考を妨げているかが分かるオモシロイ小説です。
ぜひお読みください。
※山田正紀に関する過去記事ビックアップ
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