しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦時の長髪

2016年05月31日 | 父の話
談・2002.4.6


戦時の長髪

(昭和17年の両親の結婚式の記念写真に、おじ=父の弟は長髪。新郎も次弟も坊主頭
時節柄、長髪への苦情・非難はなかったのだろうか?)

どうせ兵隊に行く時にゃ切らにゃあいけん。それで、その前から坊主頭にしとった。
それに、坊主はゼニがいらん。
ワシャじいちゃんにしてもらようた。

丸坊主は金がかからん。

(※時節よりも貧しさが理由のようだ)


徴兵検査、甲種・乙種の合格差

甲種は現役で兵隊へいきょうた。乙種はいきょうらなんだ。
戦争が激しゅうなると乙も行くようになった。


陸海軍の配置

(徴兵検査後の陸海軍振り分けは、どうなっていたのか?)
希望をだしょうた。
希望通りになりょうた。


内海(うちうみ)のポンプ場

(昭和29年ごろ、内海にポンプ場ができた)

大潮は水門から(水が)出る。
小潮で(特に雨が降り、小潮の時など)沼りょうた。
それでポンプを作った。
それまではポンプは無かった。沼りょうた。

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神辺実業の時

2016年05月31日 | 父の話

談・2002.4.6



神辺実業の時

(自転車で)茂平を出て、大門駅前を通り、「こうざき」を通り、
1時間くらいかかりょうた。みんな(城見からの進学者)自転車じゃった。

戻りしな、福山をまわって帰ることがあり三吉町でパンの売れ残りの安いのがあるんじゃ。
せえつを買うて食びょうた。食い食い戻りょうた。

(女生徒はいたのか?)
おった。
女(おなご)は女子部で校舎も違ぉた。家庭科じゃった。

(遠い人は?)
新涯の川口や府中から。


(次弟は福山工業だが、通学方法は?)
大門駅まで歩いて行きょうた。
大門から汽車。

(修学旅行、または似たような旅行はあったか?)

視察旅行があった。
日帰りで視察、篤農家の家に行きょうた。
この方では(茂平の)やっさん方へ全員で見にきょうた。
やっさんは堂面のうえで梨畑をしょうた。今はミカンじゃが。
熱心な農家へ行きょうた。

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脚絆(きゃはん)

(茂平の農夫は畑に行く時、脚絆を履いて行っていたが、いつの頃からか誰も脚絆を巻かなくなった)

あれはのう、戦争中のものじゃ。
いざゆうときに、すぐに行動に移せる。
畑だけでなく、子供も
学校に行くにも、弟二人とも巻いて学校に行きょうた。


干しイチジク

最初は生で食べとった。売れるものでないので、乾燥するものとして植えとった。
神戸へまとめて送りょうた。
大門駅は問題があり、里庄駅までもっていきょうた。


牛小屋

三軒共同で飼うとった。
(田植えの時は)
あれでかけば、ええ田んぼになりょうた。
田植え以外は、草を刈ったり、骨がおれるばぁじゃった。
フンは肥になりょうた。たい肥にしょうた。


小学校の休日

(天長節等)学校に行って、いろいろ(謂れの)話を聞いてから帰りょうた。


祭りの日の子供

当番はお宮に出て、大きい子は旗をもって、こまい子は鉄砲をもって担いで歩きょうた。
当番以外は学校に行ってから、早う戻りょうた。


駅前の人力車

(戦後1~2年間、全国的に人力車が復活した)
おった。乗ったことはねぇけど。
(大門駅にはなしで)笠岡や福山じゃった。
乗れば気持ちがええもんらしい。


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城見村会議員選挙

2016年05月31日 | 父の話

談・2002.4.6

城見村会議員選挙

銅山・西ノ谷・青木・矢旗郷。
一人づつ出るようになっとる。
組で相談して決める。

矢旗は矢ノ平と旗涯地はかわりばんこ。

選挙が終わったら酒を飲ませる程度じゃ。


芋坪

芋は、食べる自家用に作って保管しょうた。
切芋は
天日で干して、唐臼で粉にして団子にしょうた。美味かった。


稲わら

藁を叩いては、
紐にして、ござを作ったりしようた。


山の段々畑

うつろの畑は道がなかった。さとるさん方の田んぼのとこまで細い道をもって降りょうた。
道ができからは小屋までもって降りるようになった。


農家の次男・三男・四男

勤め人になる。
自分でやる。(商売人)
分家は家の屋敷だけ。(田畑はなし)


夜這い

かーさんやゆきさんの時分にゃあ「よばい」がありょうたそうじゃ。


(昭和40年ごろ、ビニールのハウスが普及するころ
ハウスの建築費や設備費はすべて自己資金で行っていたのか?)

県の補助がありょうた。3割くらい。
7割の自己負担は農協で借金して、売ったお金で払ようた。


裏作

沖の田・大東田のようなぬるい田以外は撒きょうた。


ほりあげの畑

(内海に面した畑を購入し、畑の真ん中に池を掘った
池はため池でなく、海水の池だった)

畑をあげる(嵩上げ)ためじゃ。よお沼りょうた、それで(有効)土地は狭くなるが、土(どろ)を採って高うした。

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