しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

宇垣一成最晩年の書による碑

2016年05月29日 | 父の話
談・2004.9.5

宇垣一成書

(城見小学校の忠魂碑は宇垣一成(当時参院議員・元大将・元陸軍大臣)書だが、そのいきさつは?)

大のやっさんが頼んだ。
大尉で復員した。
それなりの地位の人でないと頼めんし、金も(その系統で頼むと)そんなに要らん。
やっさんは、なんでもよう世話をする人じゃったが早ぅ死んだ。


薄荷(母の話)

仲買人がいた。小川さん。
武徳さんの自転車置き場があったへん。
大きな釜がありょうた。
(用之江で無くなった後)絞るのは吉田のひでさん方ようた。
薄荷は二番が出る。


除虫菊(母の話)

学校の下の加藤さん。
干たのを買いにきょうた。けっこうにひたのはええ値で買ぅてくりょうた。
花は三べん切る。乾かしたら買いにきょうた。
除虫菊はええ相場がしょうた。
穀物はなんでもしょうた。ササゲや小豆やゴマ。
米でも残ったら売りょうた。米は買うこともできょうた。
有田の松浦でも買いにきょうた、売りに行きょうた。
今はああゆう商売しょうる人はおらん。


カドで干す(母の話)

稲はハゼだけでは、ええように干んのじゃ。
ほれでハゼの後で庭に2~3日干しょうた。その後で脱穀するとおいしいコメになりょうた。
ムシロは爺さんが長屋で自分で編みょうた。

機織り(母の話)

賀山(実家のこと)にゃあ、もう棄ててないかもしれんが
ええ機織があった。ぎったんぎったん踏んで反物ができる。
それで縞の着物ができょうた。
糸は買ようた。
着物から織ったそれで学校に着ていきょうた。

綿(わた)(母の話)

綿は寄ったりしょうた。(綿糸でなく)綿打ち屋へ出した後は、毎年ふとんを打ち変ようた。
用之江のさかえさん方へ綿打にもっていきょうた。近までもっていきょうた。
今は軽い化繊品。
綿打ち屋はいらんようになってしもうた。


なるのおばさん(母の話)

あるのおばさんは草履(藁草履)を編みょうた。
編んでは人に配りょうた。
自分でも「ゾーリがいちばん好きじゃ」ゆうて、どこへ行くにも草履を履いて行きょうた。

(或るとき、いっしょに行ったことがあり)「こっからはええのを履いて行かんと失礼になる」と、途中で履き替えていったことがある。いっつも予備をもっとった。

草履を作っちゃあ、「みんなにもろうてもらう」
うちにも何足ゆうてもろた。記念に一つ残しとる。


ハミ(母の話)

(ハミが出ることある)堂面や新涯の畑に行く時にゃあ一升瓶をもって行きょうた。
一人じゃったら鍬で殺すしかないが、二人おったら捕まようた。

いっかい、冬に石垣を直しょうたら7匹でてきたことがある。
今は安うなった。
2~3年前、一升瓶で農協へ出す人がいて、札をみたら一匹500円じゃった。


芋坪

芋は副食・おやつ、
家の下に芋坪、芽が出る春までもつ。
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昔の生活

2016年05月29日 | 父の話

談・2005・5・22

砥石
包丁を研ぐ、鎌を研ぐ。


酒を飲む
(宴では)ビールはない、夏でも燗にしょうた。そのほうが美味い。


ゲシの草刈り

ほっとけば(下の田んぼ、畑)の陰になる。そのところは成長せん。
刈って、それが木の元へやれば肥料になる。
牛の餌にもしていた。


家の餅投げ

“しん“は棟梁が投げることが多い。
四方に角餅、酒は札を投げる。


石垣

何年もかけて作っとる。
家の石垣は(崩れたらだめなので)職人が指導するが、
畑や田んぼは、わしらでもできる。(農家の人がする)


ママカリ

ママカリやツナシが群れでえっと獲れたらぬか漬にしょうた。
(煮たり焼いたりせず)生で、ドフだけだして。甕にいりょうた。
保存食じゃ。

数が少ない時は、素醤油で2~3日食びょうた。




冬は山に行って薪をそろようた。
割木もなんぼでも要りょうた。


家の新築の木材

(昭和35年のこと)
通し柱を賀山のから切ってもらって、自動車に積んで帰った。
職人が木を切って、皮をむぐまでする。
木は賀山(母の実家)と新山(母の弟)からもろうた。


瓦屋

用之江の同級生が瓦をしとった、兄貴も親父もしとった。


北川薬師

薬師へ歩いて連れでいく。遠ぇけえ、えらいばあじゃった。
(裸祭りは?)知らん。


山のこと

山の食べるもの・・山のほとりに食べるもんは生えるが、山の中には生えん。
わらび、ぜんまい。
(山ではないが)ヨモギ、焚いて、臼へ入れてヨモギ餅。昔の年寄りは入れる量をよおしっとるが(もち米とヨモギの混ぜ具合)。
カシワの葉っぱ
(山際の道の)ちぎって戻りょうた。柏餅

シイタケの菌は買ようた。


「なだ」、
石場で潮がかぶらんところ、そこの権利。おおいわさん等がもっとった。


麦は
小麦は粉にするため。うどんと替えるため。


麦踏み、
いうほど、ええ麦に育つことはなかった。


(水田でなく)茂平には、山の畑に麦を植えとった。山はササゲも植えとった。


葉タバコ、
麦の間にタバコを植えてとった。麦の陰になりタバコにええ。茂平にはタバコは少なかった。
骨が折れる仕事じゃ。


夏の盛りの仕事(夏の暑い盛りは、果物の盛りでもあった)
飯は食わずに畑に採りにいって、家に戻ってから(急いで食べ)集荷の準備をする。


村祭り
茂平は用之江より大に親類の人が多い。祭りの日は行き来しとった。


(茂平の山に鉄砲撃の人が来ていた、撃ち落としたキジやウサギは売っていたのだろうか?)仲間で食べとったんじゃ。売りゃあへん。

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