終戦間際になると空襲警報が鳴りつけた、ことは事実として
では警報の回数の記録が残っているかと言えば、別問題。
これは北木島のバックリ山の山頂にあった監視所にも言える。何度、敵機発見し、情報を送ったのか?
役所でなく、学校の記録に残っていた.
近隣区域でもあり、城見地区の警報もほぼ同じ回数と思える。
以下、「鴨方町史」より。
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鴨方西国民学校の日誌による。
4月・・・8回(警戒8)
5月・・・16回(警戒8)
6月・・・19回(警戒16 空襲3)
7月・・・41回(警戒31 空襲10)
8月・・・15回(警戒11 空襲4)