父と母の話 2005.4~2005.5.22(3回ぶん)
塩不足
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戦後、といっても特に終戦直後の頃
塩の不足は多くの本で記されている。
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(父)茂平は海に近く、よおけい要るものでもないし・・・
塩が足らんということはなかった。
パチンコ
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戦後日本に出来たものの代表の一つにパチンコがある。
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(父)
だいしょうしたことはあるが、損するばっかしじゃけい、しゃあへん。あほーらしい。金が無けりゃあできゃあへん。
新茶
(母)一番茶は・・・(生活に余裕はなく)お茶を飲むどころじゃあねぇ。貰えば飲むゆうことぐれいじゃ。
(父)うつろのゲシに植えとった。
(母)2~3年作っただけじゃ。
麦刈り
(母)水落の畑は全部麦を植えとった。刈るのは稲と一緒、水が無ぇのが違うくらい。鋸鎌で刈りょうた。
船で運びょうた。
刈って、こいで、家に持って帰り、筵に引いて、乾かしてかあ「からさお」で実を叩きょうた。
発動機が出来たからは、発動機でしょうた。
藁は畑で干しょうた。真田にするのは慎重に干しょうた。痛んで汚うならんように、骨が折りょうた。もって帰って硫黄で燻蒸(くんじょう)しょうた。それを真田に組みょうた。
小麦粉
おおげの粉屋に頼んだり、伏越にだしょうた。隣に毎日伏越に魚を売りにいくので、それに頼みょうた。
煤掃き(大掃除)
(母)大騒動じゃった。
畳をあげて、年一回しょうた。
長屋にはダニが湧いたこともある。
井戸掃除
(母)昔から決まっとった。七夕祭りの日。
ところてん
拾いにいきょうた。浜にころげておるのを拾ようた。
洗うて干せば、食べるほどある。
菖蒲の節句
(母)ひさっさんがぜっぴ持ってきてくりょうた。「風呂へ入れぇ」ゆうて。
本菖蒲があった。
節句が来りゃあ、懇意なウチヘ配りょうた。
おしぐらんごもありょうた。
はったいこ
粉ひきやがありょうた。大に、松建の隣に。
うどんは大のよしこさんかた。
そのころ
綿引屋が流行りょうた。
馬肉
(父)正月に馬の肉を持ってきょうた。
うまかった。
(母)祭りと正月にゃあ自転車で積んで馬の肉を売りにもってきょうた。
味噌汁の出し
イリコと昆布の他に何を使っていたか?
(母)それだけじゃ。
今は味も元の「出しの元」を使う人が増えとる。
中等野球
(高校野球を見ながら)神辺実業にも野球部はあった。道具が(じゅうぶんに)なかったが、打ったり、走ったりしょうた。
タバコをおぼえたのは?
タバコは兵隊へ行ってから吸うようになった。
(無償支給だったのか?)
ただじゃあねぇ、安いんじゃ。兵隊のタバコは。
男性は柔道か剣道が必修科目
神辺実業には柔道の先生と、剣道の先生がおった。(別の先生)
夏休みや冬には特に練習した。ワシは剣道をやりょうた。水泳もやらさりょうた。
突かれて休憩室で休んだことがある。
戦前の共産党員
田舎ではいない。町のことじゃ。
戦前のオリンピックの話題
(たとえばベルリン五輪。前畑ガンバレの実況放送とかニュースを聞いたり、話題にすることはなかったか?)
ねかった。
パーマネント止めましょう
(そのそもだが、田舎の女性がパーマネントをしていたか?)
しょうらなんだ。
ラジオで聞くもの、また流行歌は?
廣澤虎造の浪曲。
歌は映画と、いっぱい飲み屋で蓄音機から聞いとった。他には(歌を)聞けるところはなかった。
女優・岡田嘉子
(昭和12年、樺太から逃避行)
田舎は関係ねぇ。
八紘一宇
学校や団体が言う・・あいさつ・・、一般が会話で話すんじゃあなぇ。
もんぺ
(資料では昭和16年から流行る)
戦争になってから、(くるぶしのとこ)くくってはくようにうなった。
卵
(母)けんさん方に分けてもらいに行きょうた。(昭和31・2年ごろまでと思える)
よおけい(の人が)、けんさんかたへいきょうた。
卵は高かった。
トマト
トマトは共同で苗まで作りょうた。
臭いでうもうなかった。
くさいけぇ、子供はよう食えなんだ。
(母)
形は今といっしょじゃが、(品種改良で)中は変わってしもうとる。
梨の予防
(母)
雨が降りそうな言えば予防。
おおそうどうじゃった。
水を汲んで、押し車で、畑の(の麓までいって)タゴヘ薬を希釈(とぐ)で、
一人が噴霧器を押して、一人が噴射機をかけるんじゃが、ろくに全部にかかるゆうことはなかった。
うつろの山でブドウと梨にはおうじょうしょうた。
20世紀ゆう梨は、直ぐに虫がくる。雨が降ったら来るようた。
20世紀は骨が折りょうた。
石鹸
(母)
固形だけ。手でこすって洗ようた。
塩不足
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戦後、といっても特に終戦直後の頃
塩の不足は多くの本で記されている。
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(父)茂平は海に近く、よおけい要るものでもないし・・・
塩が足らんということはなかった。
パチンコ
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戦後日本に出来たものの代表の一つにパチンコがある。
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(父)
だいしょうしたことはあるが、損するばっかしじゃけい、しゃあへん。あほーらしい。金が無けりゃあできゃあへん。
新茶
(母)一番茶は・・・(生活に余裕はなく)お茶を飲むどころじゃあねぇ。貰えば飲むゆうことぐれいじゃ。
(父)うつろのゲシに植えとった。
(母)2~3年作っただけじゃ。
麦刈り
(母)水落の畑は全部麦を植えとった。刈るのは稲と一緒、水が無ぇのが違うくらい。鋸鎌で刈りょうた。
船で運びょうた。
刈って、こいで、家に持って帰り、筵に引いて、乾かしてかあ「からさお」で実を叩きょうた。
発動機が出来たからは、発動機でしょうた。
藁は畑で干しょうた。真田にするのは慎重に干しょうた。痛んで汚うならんように、骨が折りょうた。もって帰って硫黄で燻蒸(くんじょう)しょうた。それを真田に組みょうた。
小麦粉
おおげの粉屋に頼んだり、伏越にだしょうた。隣に毎日伏越に魚を売りにいくので、それに頼みょうた。
煤掃き(大掃除)
(母)大騒動じゃった。
畳をあげて、年一回しょうた。
長屋にはダニが湧いたこともある。
井戸掃除
(母)昔から決まっとった。七夕祭りの日。
ところてん
拾いにいきょうた。浜にころげておるのを拾ようた。
洗うて干せば、食べるほどある。
菖蒲の節句
(母)ひさっさんがぜっぴ持ってきてくりょうた。「風呂へ入れぇ」ゆうて。
本菖蒲があった。
節句が来りゃあ、懇意なウチヘ配りょうた。
おしぐらんごもありょうた。
はったいこ
粉ひきやがありょうた。大に、松建の隣に。
うどんは大のよしこさんかた。
そのころ
綿引屋が流行りょうた。
馬肉
(父)正月に馬の肉を持ってきょうた。
うまかった。
(母)祭りと正月にゃあ自転車で積んで馬の肉を売りにもってきょうた。
味噌汁の出し
イリコと昆布の他に何を使っていたか?
(母)それだけじゃ。
今は味も元の「出しの元」を使う人が増えとる。
中等野球
(高校野球を見ながら)神辺実業にも野球部はあった。道具が(じゅうぶんに)なかったが、打ったり、走ったりしょうた。
タバコをおぼえたのは?
タバコは兵隊へ行ってから吸うようになった。
(無償支給だったのか?)
ただじゃあねぇ、安いんじゃ。兵隊のタバコは。
男性は柔道か剣道が必修科目
神辺実業には柔道の先生と、剣道の先生がおった。(別の先生)
夏休みや冬には特に練習した。ワシは剣道をやりょうた。水泳もやらさりょうた。
突かれて休憩室で休んだことがある。
戦前の共産党員
田舎ではいない。町のことじゃ。
戦前のオリンピックの話題
(たとえばベルリン五輪。前畑ガンバレの実況放送とかニュースを聞いたり、話題にすることはなかったか?)
ねかった。
パーマネント止めましょう
(そのそもだが、田舎の女性がパーマネントをしていたか?)
しょうらなんだ。
ラジオで聞くもの、また流行歌は?
廣澤虎造の浪曲。
歌は映画と、いっぱい飲み屋で蓄音機から聞いとった。他には(歌を)聞けるところはなかった。
女優・岡田嘉子
(昭和12年、樺太から逃避行)
田舎は関係ねぇ。
八紘一宇
学校や団体が言う・・あいさつ・・、一般が会話で話すんじゃあなぇ。
もんぺ
(資料では昭和16年から流行る)
戦争になってから、(くるぶしのとこ)くくってはくようにうなった。
卵
(母)けんさん方に分けてもらいに行きょうた。(昭和31・2年ごろまでと思える)
よおけい(の人が)、けんさんかたへいきょうた。
卵は高かった。
トマト
トマトは共同で苗まで作りょうた。
臭いでうもうなかった。
くさいけぇ、子供はよう食えなんだ。
(母)
形は今といっしょじゃが、(品種改良で)中は変わってしもうとる。
梨の予防
(母)
雨が降りそうな言えば予防。
おおそうどうじゃった。
水を汲んで、押し車で、畑の(の麓までいって)タゴヘ薬を希釈(とぐ)で、
一人が噴霧器を押して、一人が噴射機をかけるんじゃが、ろくに全部にかかるゆうことはなかった。
うつろの山でブドウと梨にはおうじょうしょうた。
20世紀ゆう梨は、直ぐに虫がくる。雨が降ったら来るようた。
20世紀は骨が折りょうた。
石鹸
(母)
固形だけ。手でこすって洗ようた。