しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

戦後の暮らし

2016年05月12日 | 暮らし

塩不足

戦後、といっても特に終戦直後の頃
塩の不足は多くの本で記されている。

(父)茂平は海に近く、よおけい要るものでもないし・・・
塩が足らんということはなかった。



パチンコ

戦後日本に出来たものの代表の一つにパチンコがある。

(父)
だいしょうしたことはあるが、損するばっかしじゃけい、しゃあへん。あほーらしい。金が無けりゃあできゃあへん。



新茶

(母)一番茶は・・・(生活に余裕はなく)お茶を飲むどころじゃあねぇ。貰えば飲むゆうことぐれいじゃ。


麦刈り

(母)水落の畑は全部麦を植えとった。刈るのは稲と一緒、水が無ぇのが違うくらい。鋸鎌で刈りょうた。
船で運びょうた。

刈って、こいで、家に持って帰り、筵に引いて、「からさお」で叩きょうた。
発動機が出来たからは、発動機でしょうた。

藁は畑で干しょうた。真田にするのは慎重に干しょうた。痛んで汚うならんように、骨が折りょうた。もって帰って硫黄で燻蒸(くんじょう)しょうた。



小麦粉

おおげの粉屋に頼んだり、伏越にだしょうた。隣に毎日伏越に魚を売りにいくので、それに頼みょうた。

コメント
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