談・2005.2.27
赤トーガキも白トーガキも同時に採れる。
白トーガキは西浜(ようすな)の人が買いに来て生食ように売っとったが、2~3年で止めた。
朝は赤を採り、晩に白を採る。
ほぼろから、はねうつして、まっすぐに並べなおして燻蒸(うむす)。
銅山や西ノ谷の人が多かった。
蒸し方、干し方は研究しょうた。それで統一するようにしようた。
美味いもんじゃあなかったが、珍しいんで(いつ時でも、少量)買う人はいた。
(廃止まで)作る家じゃったけえ作ってきたが、そんなにええ相場の年はなかった。
止めたときはほっとした。
うむし小屋は1軒に一つあったが、要らんようになったらみなころがした。邪魔になるだけ。
今ぁ残ってるもんはなかろう。
白トーガキ畑は赤トーガキ畑に変わっていった。
(母)
嫁にはじめて来たとき、(昭和17年)5月じゃったが倉庫にまだ干しイチジクが残とった。
食べてみたら美味かった。あの味はわすれられん。
あの時分には、ほんまにおいしかった。一つ食べても値打ちがあるようじゃった。
練炭がなかなか火が付かん。消し炭をちょっと入れ、堅炭(かたずみ)を起こす。
堅炭を起こしてから練炭を燃やしょうた。
練炭は途中で消したらいけんので、(消えない程度に)火が付くのを確認して(うむし小屋に)入りょうた。
(イチジクは毎日採れるので)毎日そうしょうた。
外へ干して雨が降りそうなら、長屋のよくちに棚をして、そこへ仕舞ようた。
毎晩長屋の前にしまう、そうせんと雨が心配で寝らりゃあへん。
ビニールができたら(段積して)外に置くようになった。
(雨は)カビがくる。
カビがきたら捨てたりしょうた。
燻蒸したのを日に何回も裏返しょうた。
天日で干して、日に二度(にへん)はなんでもしょうた。
場所も変えんと、ええように干んのじゃ。
力がいりょうた。
今頃なら扇風機で乾燥しょうたろう。
一週間ほど日和なら(次の工程の)もむのを始みょうた。
箱へ入れて保管しとると、真っ白い粉がつく。ええ粉が付くんじゃ。
正月ごろから2月3月まで出荷しょうた。
(茂平の出荷所で)りょうやんの奥さんやこ4~5人で(選別等級)分けて、箱詰めしょうた。その頃がさかりじゃった。
いつの頃から贅沢になってきて食べんようになった。(売れなくなった)美味うないゆうて。
ひとりでに「硫黄が危ない」ゆう声もしだして止めた。
あれがのうなったら、ほんまにくつろいだようじゃった。
ウチにゃ白を植えとったんで作りょうたが
赤トーガキの方が昔から相場で売りょうた。
赤はむしって、出荷するだけで金になる。
作者・この「のうなったら」の意味は、
①干しイチジクの季節が過ぎたら②干しイチジクの廃止
の二つのうち、②の廃止(昭和41.42年ごろ)を指すと思えた。
そのころ、日本の産業構造も、生活も大変動が始まっていた。
赤トーガキも白トーガキも同時に採れる。
白トーガキは西浜(ようすな)の人が買いに来て生食ように売っとったが、2~3年で止めた。
朝は赤を採り、晩に白を採る。
ほぼろから、はねうつして、まっすぐに並べなおして燻蒸(うむす)。
銅山や西ノ谷の人が多かった。
蒸し方、干し方は研究しょうた。それで統一するようにしようた。
美味いもんじゃあなかったが、珍しいんで(いつ時でも、少量)買う人はいた。
(廃止まで)作る家じゃったけえ作ってきたが、そんなにええ相場の年はなかった。
止めたときはほっとした。
うむし小屋は1軒に一つあったが、要らんようになったらみなころがした。邪魔になるだけ。
今ぁ残ってるもんはなかろう。
白トーガキ畑は赤トーガキ畑に変わっていった。
(母)
嫁にはじめて来たとき、(昭和17年)5月じゃったが倉庫にまだ干しイチジクが残とった。
食べてみたら美味かった。あの味はわすれられん。
あの時分には、ほんまにおいしかった。一つ食べても値打ちがあるようじゃった。
練炭がなかなか火が付かん。消し炭をちょっと入れ、堅炭(かたずみ)を起こす。
堅炭を起こしてから練炭を燃やしょうた。
練炭は途中で消したらいけんので、(消えない程度に)火が付くのを確認して(うむし小屋に)入りょうた。
(イチジクは毎日採れるので)毎日そうしょうた。
外へ干して雨が降りそうなら、長屋のよくちに棚をして、そこへ仕舞ようた。
毎晩長屋の前にしまう、そうせんと雨が心配で寝らりゃあへん。
ビニールができたら(段積して)外に置くようになった。
(雨は)カビがくる。
カビがきたら捨てたりしょうた。
燻蒸したのを日に何回も裏返しょうた。
天日で干して、日に二度(にへん)はなんでもしょうた。
場所も変えんと、ええように干んのじゃ。
力がいりょうた。
今頃なら扇風機で乾燥しょうたろう。
一週間ほど日和なら(次の工程の)もむのを始みょうた。
箱へ入れて保管しとると、真っ白い粉がつく。ええ粉が付くんじゃ。
正月ごろから2月3月まで出荷しょうた。
(茂平の出荷所で)りょうやんの奥さんやこ4~5人で(選別等級)分けて、箱詰めしょうた。その頃がさかりじゃった。
いつの頃から贅沢になってきて食べんようになった。(売れなくなった)美味うないゆうて。
ひとりでに「硫黄が危ない」ゆう声もしだして止めた。
あれがのうなったら、ほんまにくつろいだようじゃった。
ウチにゃ白を植えとったんで作りょうたが
赤トーガキの方が昔から相場で売りょうた。
赤はむしって、出荷するだけで金になる。
作者・この「のうなったら」の意味は、
①干しイチジクの季節が過ぎたら②干しイチジクの廃止
の二つのうち、②の廃止(昭和41.42年ごろ)を指すと思えた。
そのころ、日本の産業構造も、生活も大変動が始まっていた。