人気絶頂の歌手・舟木一夫が歌う「花咲く乙女たち」といえば、なぜか
後に日活の映画スターになったMくんのことを思い出す。
高校のクラスメートだったMくんは、休憩時間などに、よく「花咲く乙女たち」を口ずさんでいた。
その「花咲く乙女たち」の日活映画は、当時はやっていた普通の青春歌謡映画だと思っていたが
今でいう街起こし、地域起こしであったとは初めて知った。
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「人びとの戦後経済秘史」 東京新聞・中日新聞編 岩波書店 2016年発行
人出獲得競争
人手不足が深刻化すると、集団就職は商店街・工場・大企業に拡大した。
地域も東京から愛知県や大阪などにも広がり、「金の卵」と、もてはやされた少年少女たちが高度経済成長を支え続けた。
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高度経済成長期、繊維産業の一大集積地だった愛知県一宮市。
戦後始まった「一宮七夕まつり」にちなみ「女工ではなく織姫と呼ぼう」という声も出た。
危機感を強めた行政は「働きやすい繊維の街」をアピールしようと、日活映画とタイアップした。
旧尾西市(一宮市)を舞台に、地元萩原町出身の歌手・舟木一夫が主演した映画「花咲く乙女たち」(1965年公開)。
製作費約6.000万円のうち400万円を旧尾西市が負担した。
映画が描いたのは、昼は清潔な繊維工場で生き生きと働き、夜は学校で学ぶ女性工員たちだった。
休日になるとサークル活動や街へ外出を楽しむ。
舟木は彼女らの仕事場に給食を配る青年を演じた。
繊維から連想される「女工哀史」のイメージを塗り替える作戦だった。
(昼は、明るい工場で働く)
(夜は、定時制高校に学ぶ)
(初恋もある)
(ピクニックに行く、みんなで歌う)
(青春映画の決まりごと?ラストシーンは別れ。背後や背景はいつも、愛知県一宮市や木曽川)
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企業は素直で低賃金で使える労働力を求めていた。
人手不足が深刻になり、出身地域も沖縄まで広がった。
集団就職列車は中学卒の少年少女を60年代には毎年8万人前後も運んだ。
1955年からの15年間で地方から三大都市圏に就学も含め500万人の若者が移動したとの推計がある。
地方は今、朽ちた空き家だらけになっている。
人口集中する都会と衰退する地方。この時期に端を発していた。