農家の母屋の床下に芋壷があった。
スクモの中にサツマイモを入れていて、それを年中食べていた。
ふかし芋は大人の間食、子供のおやつを代表するものだった。
ふかし芋は戸棚に必ずあるもので、三食以外の腹の足しにしていた。
焼き芋・天ぷら・あんころ・切り干し・混ぜ飯等でも食べた。
笠岡には江戸時代”芋”代官がいて、昭和に”芋”博物館もあった。
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「金光町史 民俗編」 金光町 平成10年発行
サツマイモ
サツマイモは大切なご飯の足しであった。
納屋や下の間の下に穴を掘って芋床を作り、芋を山のように入れて、間にすくもを入れて保存した。
特に戦時中にはサツマイモ、ジャガイモ、南瓜は人々の命を支えた大切な主食であった。
「金光町史 民俗編」 金光町 平成10年発行
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「矢掛町史民俗編」 矢掛町 昭和55年発行
サツマイモ
米の代用によく食べた。
また第二次大戦中、砂糖の代用にイモヨウカン、イモアメを作った。
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「野菜まるごと辞典」 成美堂出版 2012年発行
サツマイモ(薩摩芋・甘藷)
原産地・メキシコ、ガテマラ
アメリカからヨーロッパに渡り、
日本には中国から宮古島に渡ったのが始まり。
九州南部で栽培され「薩摩の芋」として全国に定着した。
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「岡山県史・民族Ⅰ」 昭和58年 山陽新聞社出版より
サツマ芋
サツマ芋・イモ・琉球芋・カラ芋・唐人芋などと呼んでいる。
笠岡代官所の井戸平左衛門は薩摩からサツマ芋を取り寄せて普及し、その遺徳は芋代官と呼ばれた。
荒地、開墾地もけっこう育ち、豊凶が少なく、税の対象にもならなかった。
熱帯作物で腐りやすいので、いも壷を床下に大きな竪穴を掘り小麦藁を立て,底にはスクモを敷きサツマ芋を並べ、そのまた上にスクモを入れていた。
こうして年中食べる分を入れておいた。
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「岡山の食風俗」 鶴藤鹿忠 岡山文庫 昭和52年発行
薩摩芋
サツマイモ、イモ、琉球芋、カライモなどと呼んでいる。
笠岡代官所の井戸平左衛門は薩摩から薩摩芋を取り寄せて普及に努めた。
笠岡市には芋博物館があった。
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芋飴
(母の話)
芋あめは売りにきょうた。たくみさんのとこで。戦後神戸から帰ってきて。
おばさんは「テンプラはどうですか?」いうて売りにきょうた。おじさんは自転車でトウフを売りにきょうた。
トウフは朝作って、それから芋飴をつくりょうた。子供のいーさんは1番じゃった。中学を卒業する時に引揚げて神戸にいんだ。
(父の話)
さつま芋で。芋を買うて作りょうたんじゃけい、高いもんにつく。狭い家に住んどったが、なんでもやりょうた。
20002年10月14日
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