豪華な雛人形を飾ったり、見せたり、見物したりして楽しむ。
それが今の雛祭り。
しかし、ほんの数十年まえ迄の日本は、
(長者を除き)藁や紙の雛人形で節句を祝っていた。
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ひな祭りの源流 昭和33年3月3日 ~天声人語~ 荒垣秀雄
ひな祭りは元は流しびなという戸外の行事だった。
人間には罪の自覚や穢れの意識がある。
その罪の罪や穢れを去って、清らかになりたいとの願いやあこがれがある。
昔の人はそれを素朴な形で表現した。
人間の姿に似せて人形をつくる。
それを形代として、わが身の身代わりに罪や穢れを背負ってもらい、川や海に流す。
ひなを流したあと、身も心もきれいになったと、せいせいした気持ちで、また精出して働く。
いかにも原始的な宗教心のようだが、一年のうちにはそうした折り目を正しては、
また明日から心も新たに出直そうとする。
われらの古き祖先には、人間の生き方としてこのような謙虚な知恵があった。
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北木島の流し雛(笠岡市指定重要無形民俗文化財)
日時・2023年4月22日
場所・岡山県笠岡市北木島町大浦
北木島に”流し雛”を見に行った。
大浦海岸で海を見ながら、「流す時」を待っていたら、悠久という思いがした。
喧噪もなくゆったりと、いい島時間を持つことができた。
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