笠岡市民会館で「笠岡市美術展」が2/17~2/19で開催中。
会場で旧知のJさんに会った。
Jさんは古写真を見ながら次のような話をした。
(赤い矢印が神島⇔片島渡船)
「母親は片島から生江浜に嫁に来ていた。
それで夏休みなど片島に何度も遊びに行っている。
生江浜の家から歩いて吉浜土手に行く、
吉浜土手からバスに乗って笠岡駅に行く、
笠岡駅からバスに乗って横島フェリー乗場に行く、
横島フェリー乗場からフェリーに乗って神島フェリー乗場に行く、
神島フェリー乗場から歩いて神島渡船場へ行く、
神島渡船場から渡し船に乗って片島渡船場に行く。
片島渡船場でお祖母ちゃんが出迎えしてくれた。
楽しみは、お祖父さんが魚の美味いのを食べさせてくれた。
夏休みでは、必ず(島の北側の)海水浴場に行っていた。」
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徒歩以外に、船便2回、バス便2回で
ずいぶん遠回りに感じられるが、時代背景の想いの方が強い。
なにより当時は山や峠を一つ二つは越えないと目的地に行けないケースが多かった。
片島へは、それがない。
(現在生江浜から片島まで、車で5分で行ける)
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(赤い矢印が生江浜⇔金崎渡船)
渡船のこと
神島⇔片島
船は片島で待っていれば、手を振って、声をあげれば、漕いてきていた。
船は神島・片島のどちらかで待っていた。
一人でも乗る人がいれば対応していた。
(廃止する前くらい)手漕ぎからエンジンが付いた船になっていた。
生江浜⇔金崎
廃止になるまでぎっちらぎっちら手漕ぎだった。
生江浜から金崎に行く客でバスに乗る人がいれば、船頭さんに知らせる。
船からバスが見えるので、船頭さんは旗を振ると、バスは船が着くまで待ってくれていた。
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その他
大相撲のこと
(大相撲金浦小学校場所のこと)
あったゆうのは聞いとるが、ワシが小学校の1.2年生のときじゃって、見に行ってない。
笠岡の西ノ浜ではしょうたなあ。
今のホリディのふきん。
半分海か葦かゴミ捨てか、という場所じゃった。
そこへはサーカスもきょうたなあ。
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