岡山県玉野や児島から、四国の屋島の背後に険しい連山が見える。
それが、五剣山。
あの山にいつか登りたいと思っていたが、今回琴平に行く便があったので登ってみた。
五剣山は一つが崩落し、現在は”四剣山”の状態で、四国霊場の「八栗寺」より上は登山禁止になっていた。
八栗寺のお遍路さんは、みな絵になるような服装と持物をバシッと決めてのお参りだったが、
自家用車か観光バスで来て、そこからはケーブルカーで上り・下り。
それが今風の巡礼なんだろうが、本来の修行というよりは、娯楽のように見えた。
弘法大師は僧名を空海といい、774年善通寺市で生まれたと伝えられている。
のち遣唐使に随行して入唐し、長安で研鑽につとめ、806年帰朝し真言宗を伝えた。
八栗寺は、昔、大師がここにきて、焼き栗を八つ植えたところ、それがみな芽を出したので八栗寺の名がついたという。
(八栗寺本堂と五剣山)
ところで四国遍路は、弘法大師がはじめたという伝えがあるが、一般に起源は室町時代のころだろうといわれている。
四国の霊場88ヵ所の札所が選び出され遍路行がさかんいになったのは、1670~80年ともいわれる。
1番から88番まで,順回りでも逆回りでもよく、はじめもおわりもなく、どこからはじめてもよい。
しかし近道をすることは戒められていた。
見ず知らずのお遍路さんを”大師”とあがめ、”お接待”と称して、
みかん・もち・赤飯・豆など、いろいろなものを供養するが、
施すのものも、受けるものも、ともに“南無大師遍照金剛”と唱えて合掌する。
「香川県の歴史」 市原・山本共著 山川出版社 昭和46年発行
(向こうは屋島、その麓は源平合戦古戦場)
撮影日・2022.5.29
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