しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

掩体壕に隠すもの

2021年08月06日 | 昭和20年(終戦まで)
一部の書籍や現地説明板に書かれていることはあるが、ほとんどがスルーされていること。

掩体壕に隠すものは飛行機またはダミー機。
高射砲には丸太のままの偽ものがあった。


「本土空襲」  NHKスペシャル取材班  角川書店 2018年発行



興味深い映像もみつかった。
飛行場に整然と並んだ飛行機に向かって機銃掃射する様子が映し出さたガンカメラ映像。
しかし、しばらくすると戦闘機は攻撃をやめてしまう。
じつはこの映像をよく見ると、
標的となった飛行機の脚の部分に車輪がなく、つっかえ棒で支えられていることがわかる。
つまり、
整列していた飛行機はすべてアメリカ軍の目を欺くためのダミー機だったのだ。
迎撃機を失っていた日本は、アメリカ軍による攻撃を偽の航空部隊に集中させようと、ダミー機を用意して必死の抵抗を試みていた。
しかし、低空飛行のP-51の前では偽装工作も無意味だったのである。






これは高知県南国市の掩体壕。
南国市では本物を格納していたのかもしれないが、
おじ(母の弟)の話では
松山の掩体壕には竹と紙で作った飛行機の先の部分をつくり、掩体壕からわざと見えるように置いていた。






呉市の野呂山。

毎日、丸太に灰色を塗って偽の大砲か高射砲を野呂山に設置していたそうだ。




それでもまだ「戦争に負けるとは思ようらなんだ」そうだ。
少年に”神州不滅”を徹底教育すると頭もマヒしてしまうことを証明している。



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