(「週刊新潮」)
ここ1~2年、急に樋口季一郎の名がマスメディアに載るようになった。
当初は占守島の戦いでの、方面軍司令官として。
今は、それに加えてユダヤ人を救った恩人として。
占守島のことは、資料が極めて少なく、言ったもん勝ちの状況。
樋口司令官の場合、居たのが現地でないのが少し弱いように感じる。
ユダヤ人の件は、樋口本人に罰はなかったのか、軍規則や司令部の絡みを説明しないと、「はい、そうですか」とは言えない。
(NHKニュース 2022.12.2)
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「週刊新潮」2022年10月27日号に、”知られざる英雄”の記事がある。
(「週刊新潮」)
知られざる英雄
「生前、祖父は戦争の話はほとんどしませんでした」と語るのは、
バッハの研究で知られる音楽学者で、明治学院大学教授の樋口隆一氏(76)だ。
淡路島で生まれた彼の祖父、樋口季一郎は、陸軍の情報将校としてロシア語を学び、
ポーランドや満州などに駐在。
終戦時の階級は中将で、北海道・樺太・千島を管轄する第5方面軍司令官だった。
1938年、ナチスの迫害からシベリア鉄道で満州に逃れてきたユダヤ人たちがいた。
現地当局はドイツとの関係を考慮して入国を拒否するが、
ハルビン特務機関長だった樋口が「これは人道問題」と主張しユダヤ人の入境を認めさせた。
後に《ヒグチ・ルート》と呼ばれる、この脱出路により、最大2万人のユダヤ人が命を救われたといわれる。
が、樋口が英雄と呼ばれる理由はそれだけではない。
「祖父は、北海道をソ連から守ったのです」(隆一氏)
日本が降伏を表明した後の45年8月17日、千島列島の最北端・占守島にソ連軍が上陸。
日ソ中立条約に違反した卑劣な侵略行為を前に、樋口司令官は「自衛のため断固反撃せよ」と命じる。
戦史に詳しい陸上自衛隊OBいわく、
「占守島には満州から移駐した戦車第11連隊をはじめ、精強な部隊が残っていた。
彼らの徹底抗戦に手を焼いたソ連軍は、とうとう北海道の占領を諦めました」
樋口は70年に82才で亡くなった。
ユダヤ人を救った日本人といえば、駐リトアニア領事代理だった杉原千畝が有名だが、樋口の名は一般にはあまり知られていない。
先のOBは、
「杉原さんは外交官ですが、樋口は軍人。
敗戦国日本では、軍人=悪人でしたから」と嘆く。
その風潮も、今後は少し変わるかもしれない。
隆一氏が語る。
「占守島で戦わなければ、北海道は今のウクライナのように蹂躙され、ロシア領にされていたはず」
日本で軍服姿の軍人の全身像が建立されるのは、戦後初だという。
(「週刊新潮」)
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