しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

最後の日ソ戦・・・その7・喜劇的な悲劇

2020年06月17日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。

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日本が最後の瞬間までソ連の好意を当てにし、対米英和平仲介に望みをかけたのは、喜劇的な悲劇というべきであろうか。
スターリンが連合国首脳に対日参戦を公式に表明したのは、1943年11月テヘラン会談である。

8月10日早朝、ポツダム宣言受諾通告を発電し、事態が急速に戦争終結に向かうと見るや、ソ連は8月11日樺太国境を越えた

千島方面はソ連軍がまったく作戦しておらず、米軍が盛んに作戦してきたところである。
スターリンの要求によって、降伏受け入れの担任地域に入った。

しかしポツダムにおける軍事会談で協議された米ソ作戦境界は、千島方面があいまいで、中千島を境界するという合意も存在した。

8月14日深夜、日本政府がポツダム宣言受諾の通告を発電し、終戦が確定した後、
8月15日、ソ連は一方的に急ぎ千島上陸命令を出した。
米軍がいたら引き返す、米軍の在否を確認しながら歯舞まで進出する。

日本の正式降伏調印が、日本側の都合と台風による準備遅延によってマッカーサーの予定より5日間延期された。
これがソ連軍を助けた。

ソ連は、極めて短期間の軍事作戦によって、極東における絶大な利益を得た。



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