しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

最後の日ソ戦・・・その5・占守島・戦闘停止~武器引渡

2020年06月16日 | 占守島の戦い
「一九四五年夏 最後の日ソ戦」 中山隆志著 平成7年 国書刊行会発行 より転記。



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8月20日早朝、
ソ連艦隊が幌筵海峡北口、片岡湾に接近してきた。
海軍は高角砲でその進路前方に射撃を加え警告を発した。
ソ連は一斉に砲撃を開始した。10分後反転して去った。
ソ連艦隊の片岡湾への進入は、
19日に杉野旅団長らが調印した文書に記載された条件であったならば、日本側の対応に問題がある。
師団長は、師団の安全を確保する決心し、21日6時をもって攻撃を再開する旨命令した。

第五方面軍は、
ソ連の北海道進攻を危惧して南部樺太死守を指導し、20日にはソ連軍の真岡上陸など緊張の中にあったが、
北千島に対しては樺太よりも早く「戦闘行動を停止」の、大本営指示に基づく命令を与えた。
第91師団が20日に接受したが、時刻は明確でない。
柳岡参謀長は20日夕に帰還した。

8月21日、
ソ連艦上で日本側は堤師団長、柳岡参謀長、水津参謀ら、ソ連側はグネチコ司令官らが会同し、降伏文書の正式調印が行われた。
同日、師団長は一切の戦闘行為の完全停止を命令した。

その後、
ソ連軍は比較的紳士的に対応したようである。
8月24日夕、武器引き渡しは完了した。
この後、
通信遮断によって、北千島の状況は一切不明になる。
満洲・樺太と同様、1.000人単位の作業隊に編成され、シベリア方面に抑留されることになる。

北千島における善戦はソ連軍の千島全体の占領を遅延させ、
ひいてはソ連軍の北海道占領作戦断念にも貢献した可能性が考えられる。


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