昭和45年頃、国鉄の松永駅に列車が停まると、
駅の北側にはイ草の田んぼが広がり、駅の南側には放ったままの入浜式塩田が海に向かってのびていた。
岡山県の児島小川ふきんには、流下式塩田の枝条架(しじょうか)が広大にひろがっていた。
「瀬戸大橋」の付帯工事とは、あの塩田跡の救済事業じゃあないか、と思ったりもした。
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(江戸時代初期の福山藩の新田開発の大功労者・本庄重政 )
(浜子の像・JR松永駅前 写真右側が沼井)
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「広島県の民謡」 中国放送 第一法規出版 昭和46年発行
沼井叩き歌 福山市松永町
「沼井」(ぬい)というのは塩田の中に切ってある四角の井戸のような形のもので、
ここに塩のついた砂を知れる。
夏、塩田を開始する前に、その沼井の側を粘土で五寸幅ぐらいに塗り固めて、塩水が漏らぬようにする。
その粘土をバイ木という板で叩く作業が「沼井叩き」、
その折りうたわれる歌が「沼井叩き歌」である。
塩作りは夏半年仕事をし、寒い半年は休んだので、「沼井叩き」は春先、主として子どもたちの内職として行われた。
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備後松永ヨー塩浜ヨーイどころ
ヨーイ ヨーイ ヤレヤーレ エーイ
浜のからいは御免 御免なれ
沖の暗いのに白帆が見える
あれは紀国蜜柑船
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(松永クレーン学校は塩田跡地)
(松永の汐入川。瀬戸内地方は汐入川はだらけ)
撮影日・2019.4.12 福山市松永町
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