相方城
場所・広島県福山市新市町
備後地方(広島県の東半分)では知られた山城だが、
広島県全域ではそれほどでもなく、中国地方となると無名に近い山城。
だが芦田川沿いの絶壁に築かれた、戦国時代の城跡に立つと、脚はふるえるほどに危険な場所に石垣の遺構が残る。
岐阜県の犬山城は木曽川沿いに建ち”日本ライン”を構成した城跡だが、
相方城も芦田川とで”備後ライン”と呼んでいい。
広島県史跡 相方城跡 (さがたじょうあと)
標高191mの通称「城山」の山頂を中心にして、東西約1000m、南北約500mの範囲に城郭遺構が分布する大規模な山城である。
芦田川を挟んで正面に見える亀寿山城 (標高139m)を本拠地として備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、
相方城より南の地域を本拠地としていた宮氏一族などにより16世紀前半には、中世山城として整備されていた。
天文21(1552)年に宮氏が滅んだ後は、有地一族が出雲国や備後国北部などに給地替えされるまで、 相方城を拠点に当地を支配していた。
その後は、毛利氏の直轄城となり、東方備えを目的とした近世城郭として整備され、
関ケ原の戦い (1600年) による毛利氏の撤退によって相方城は廃城となった。
1995年1月23日広島県史跡指定
広島県教育委員会・福山市教育委員会
訪問日・2023.12.20