しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

孝女・津留の顕彰碑

2023年12月19日 | 江戸~明治

場所・岡山県井原市七日市町・孝津公園


今もつづく「春の褒章」「秋の褒章」は明治10年頃制度化されたようだ。
表彰や勲章は、体制の安泰に一定の効果があり
江戸時代から孝子・孝女はお殿様や為政者からご褒美をもらっていた。

 

笠岡近辺では、
浅口郡大島村柴木の孝子・甚助が有名であり、井原には孝女・津留がいた。

 

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講談社の絵本  

孝女といえば、なんといっても、歌にも映画にもなった”孝女白菊”

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庶民教化活動 孝子伝の刊行
各藩は、孝子をはじめとする忠臣・義士・貞女などのいわゆる善行者を表彰するという方策がとられた。
江戸時代においては「孝は百行の本」といわれ、孝は「五倫五常」の道を代表する最も重要徳目であった。
孝行なる者、法令に忠実に従う者、質素で勤勉なる者などは支配者の期待する人間であった。
一方、幕府は、寛政元年全国各地の為政者に対して、孝行または奇特なるもの褒美ありしは、記録あるかぎりは「孝義録」の資料集めを始めた。 
これらの孝子伝には、酒飲みの父親にも身を粉にして尽したとか、いやな病人の看病をいとわなかったとか、孝行の概念が誰にもわかるような、具体的な事例をとおして紹介されている。
これらの孝子には藩主から、金・銀・銭・米等 が褒賞としておくられている。


孝子頸彰
岡山県内でもこうした孝子伝の刊行と、地域によっては孝子の顕彰碑が建てられている。
孝子をはじめとする善行者の表彰は、明治に入ってからも県知事などによってしばしばおこなわれた。
表彰状と賞品が手渡され、各町村はそれを名誉なこととしたのである。

井原市出部の孝女佐藤津留は七歳にして父を喪ったが、病床の母を看病するかたわら一心に働き、食物はまず病気の母に与え残りを自分がたべたという。 
津留が成長して結婚話が起きても、母親に孝養ができないというので断わったというもの。
明治八年県令から表彰された。
昭和五年になって石碑が現在の井原市に建立された。
なお、津留の話は昭和初期後月郡教育会によって編さんされた副読本にものせられている。

「岡山の教育」   秋山和夫 岡山文庫 昭和47年発行

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孝津公園 訪問日・2023.12.18

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「ふるさと探訪 出部の史跡」 いずえ地区まち協 平成30年発行

 

七日市町の日芳橋手前の道を100mほど南下した道路の右手に「孝津公園」がある。
これは、母に孝養をつくした孝女津留にちなみ名づけられたものである。

佐藤津留碑(法学博士男爵 阪谷芳郎題額) には、
興譲館長 山下秋堂の次のような碑文が刻まれている。
孝女佐藤津留は、弘化2 (1845)年七日市に生まれた。幼い頃父を亡くし、母と姉と3人で暮らしていた。 
母と姉は病弱なため、津留は7歳の時から姉を励まし、母の看病に尽くした。 
近所から食べ物をいただくと、津留はまず母にささげ、次に姉にすすめ、残りがあれば自分が食べていた。 
津留の手厚い看病のお陰で母の病気も少し良くなったので、姉は近くの村へお嫁に行った。 
その後は田畑を耕し、一人で養っていた。 
晴れた日には、前のはふご(わらで作ったかご)に母を乗せ、後ろのはふごには農具を乗せ、天秤棒で担いで田畑に行きのあぜの木陰に母をおろし、時々会話して 母の心を慰めながら田を耕した。 
夜は母の枕元にすわり背中をなでたり、 肩をもんだりした。 母が眠った後は、静かに糸車を回し、夜遅くまで糸をつむいで家計を支えた。 
津留が年頃になった時、周囲の人々が養子を迎えるよう勧めたが、 母の孝養が思うようにできないと断った。
明治18(1885)年1月、 岡山県令(今の県知事) は、津留の孝心をたたえ、褒賞金を贈り表彰した。 
明治23(1890)年6月、母の病気が重くなり、 津留は十日余り、ほとんど寝ないで看病した。 母は多年の孝養に感謝しながら78歳でなくなった。
明治24(1891) 年津留の孝心の素晴らしさがついに宮中にまで知られ、 緑綬褒章 (親孝行など特に優れた人に与えられる賞) を賜った。 
そして、 時の文部大臣、井上毅は、津留の孝養に痛く感激し、 彼の文章が女学校の教科書に掲載されると、その孝養は全国に知れわたった。
津留は大正15(1926)年3月11日、82歳で亡くなった。
昭和5 (1930)年1月、地元の有志の人たち は、津留の孝心を永く後世に残すため自然石の基壇 (高さ210cm) の上に佐藤津留碑を建立した。

「ふるさと探訪 出部の史跡」 いずえ地区まち協 平成30年発行

 

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