茂平の「いなとり」は村一番と思える賑わいだったが、
その参加者は府中~新市~神辺~井原、が多かったのは子供も知っていた。
なぜわざわざ遠方から来ていたのか?その訳は、
海から離れ、川魚を漁撈し食す地域の人々には、農具の一つとして「うだ」を所有し生活と食料に役立てていたから。
海岸部の人々には「うだ」は必要ないし、年に一度のために所持するほどの豊かさはなった。
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「矢掛町史・民俗編」 溜池とウザ漁撈
溜池での漁撈をイケボシ、カイボシ、サカナトリなどと呼称し、
水田灌漑水を落下すると同時に、
池水も落水し溜池での漁撈、
溜池の修理保全などが関係農民によって行われる。
その上に溜池での捕獲された川魚類は地域農民の重要な食品として貴重な食糧資源であった。
来るべき秋の収穫前、または12月の収穫後の今日の言葉でいうレクレーションでもあって年中行事の一つでもあった。
ウザというのは魚伏籠のことである。
溜池では、ウザによって川魚が捕獲される。
水中に狼狽する魚をこの中に追い込んでとる。
ウザは片手で池底に突いて、手ごたえがあると、上部の口から魚を手でにぎる。
ウザの材料は真竹である。
ウザは自製する農民が多く、農家には必ず2~3個以上はあった(西川面)。
矢掛町では魚伏籠の呼称を広くウザという場合が多い。
ウダ(東川面)などもこの呼称線上にあるものだろう。
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「野々浜むかし語り」 野々浜公民館 1991年発行
網入れ(いなとり)
この時は遠く、府中、新市、井原、高屋などあちこちから何百という人が、
投網や「うだ」を持ってやってくる。
野々浜の内海(うちうみ)は、足の踏み場がないくらい賑やかだった。
「うだ」というのは頭丸籠に似た丸い籠で、これを海に突っ込んで魚を上から押さえる。
魚が入るとぴょんぴょん中ではねるのがわかる、という代物だ。
今でも高屋や井原に行くと、
野々浜の網入れをおぼえてる年寄りが居て、
「わしはのう、野々浜の海へ網入れに行きおったんど」
と話してくれる事がある。
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「岡山県史・民族Ⅰ」 昭和58年 山陽新聞社出版
ウザ
水田のミズオトシをしたとき池干しをしてウザを使う。
ウザで池底を突くようにして魚のいそうなところをかぶせてゆく。
ウザに手ごたえがると、上部の口から魚を手で握る。
材料は真竹である。
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