平家物語には、いくつもの”花”があるが、
「敦盛の最期」も古くから多くの人の心に残る話となった。
近代では歌に映画にドラマに、美少年が歌ったり演じたりした。
古くは織田信長の幸若舞”敦盛”も有名。
神戸の須磨寺にはたいそう立派な二人の銅像が建っている。
旅の場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町・須磨寺
旅の日・2021年11月4日
書名・平家物語
原作者・不明
現代訳・「平家物語」 長野常一 現代教養文庫 1969年発行
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「平家物語」 熊谷
熊谷次郎直実は、なんとかして平家方の大将に組みたいものと、波打ち際に馬を進めた。
その熊谷の目の中に、大将とおぼしきひとりの武者の姿が映った。萌黄匂い(黄緑色)の鎧を着て、
形打った甲の緒をしめ、黄金作りの太刀をはき、連銭葦毛の馬に乗って、沖の船へ泳ぎ着こうと、
海へざっと打ち入れた武者の様子は、あっぱれ一方の大将軍と見えた。
熊谷は手に持っ扉をさっと開き、
「そこなお方はあっぱれ平家の大将軍と見受けまする。敵に後ろを見せるとは卑怯ですぞ。返したまえ!」
すると相手はすぐに馬の向きを変え、波打ち際の熊谷目がけて引き返してくる。
水を切って上がろうとするところへ、熊谷は押し並べてむんずと組み、どうとばかりに両方の 馬の間へ落ちた。
熊谷は坂東に聞こえた大力無双の豪傑である。
たちまち相手を取って押え、下に組みしいて首を取ろうと、相手の顔を仰のけて見れば、こはいかに! まだ十六、七歳の少年ではないか。
薄化粧さえした紅顔の美少年である。
「ぜんたい、どこのどなたでございますか。御名を名乗って下さい。お助けいたしましょう。」
「そういう貴公は?」
「名のある者ではございませぬが、武蔵の国の住人、熊谷次郎直実と申しまする。」
「さては貴公にとってはよい敵だ。ゆえあって自分の名は名乗らぬが、首を取って人に尋ねてみよ。見知っておるであろうぞ。」
少しも悪びれたところがなく、少年ながら、じつにりっぱな態度である。
熊谷はほとほと感心した。
―たとえ、この人ひとりを見のがしても、味方の勝利には変わりがない。
助けてやろう。
熊谷の心には、仏のような慈悲が生じてきた。
ところが運の悪いことに、後ろから源氏の武者が五十騎ばかりかけてきた。
熊谷は涙をはらは と流して、
「お助けしようと思いましたが、あいにくと味方の軍勢が参りました。」
「どうでもよいから、早くこの首を取れ!」
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ!」
熊谷は小声で念仏をとなえながら、目をつぶってついに相手の首を取った。
ああ、武士ほどつらいものはない、武芸の家に生まれなかったなら、このように残酷なまねはせずにすんだであろうものを。
ああ、むごいことをしたものだ。残念なことをしたものだ。
熊谷はしばらくそこにうずくまったまま、鎧の袖を顔に押しあてて、男泣きに泣くのであった。
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