数学の本だけど,種類はいろいろ.専門の基礎としての数学という位置づけだけど,そりゃー,まあ,これだけじゃないことは多くの方々が知っての通り.
で,本によっては,文化としての数学,あるいは数学の文化,といったものを感じる方も多いでしょ.数学の歴史や,特に数学者を扱った本などは,確かに文化の発展を知ることができるでしょ.
ココイラだけど,どう扱ったら良いのだろう? 面白くない,そんなことを感じる方もいるだろうし....その反対に.....
統計学の歴史だけど,授業で話すことが多いの.できる限り,学問としても体系を歴史的に知って欲しい,そんな理由からなの.
ただし,数学そのものとなると,授業で歴史などを話すのは可能.でも,文化としての奥深さをにおわせるほどの腕力もないし...で,いつも思うのは,数学の文化は自分で愉しみとして大切にしていることで,人様にお話するのはどうか....という気持ちがあるの.
何かに迷うと,常に数学というより,その文化に自分を投げ込んで,それで現実に戻る,そんことの繰り返しなの.もちろん,迷いがなくなるわけでもなく,ただ,数学の中でじっと考えたい,そんなことかなー.あくまでも自分自身で文化を感じて,それで自分の中でしかわからない,そんなもの.
ジョギング,そんなことと同じで,毎日,ひたすら走っているけど,スポーツを語るなんて,絶対に無理だし.数学も毎日使って,それで勝手に文化も感じて....だけど,語るのは難しいの.
考えてみたら,教養だけど,語るのって難しい,そんな気が....専門との同化は語れるけど,そのカタチは自分で自分の中につくる,そんなものかなーと.しかも,自分という形成には必要だけど,あえて外に語るのはどうか....
文学も嫌いじゃないけど,これについてはカタチも自分の中になくて,ただ,生きるための糧,そんな位置づけ.音楽なんて,語るどころか,自分もで自分が何が好きか,理解できない,そんなこと.
だけど,大切なことはわかっているの....で,この視点って専門がきっちりあるから,そんな気が....ココイラは難しいけど.教養は専門には必要だけど,でも,それは専門をカタチにするのに自分の内面で使っているもので,コレだけを抜き出して....というのが難しいように思えてならないの.あくまでも,部分を部分として教えることは可能だけど,でも真髄が....
教養って何だろう,そしてどう教えるのか,難しいの.
がんばりましょう.
で,本によっては,文化としての数学,あるいは数学の文化,といったものを感じる方も多いでしょ.数学の歴史や,特に数学者を扱った本などは,確かに文化の発展を知ることができるでしょ.
ココイラだけど,どう扱ったら良いのだろう? 面白くない,そんなことを感じる方もいるだろうし....その反対に.....
統計学の歴史だけど,授業で話すことが多いの.できる限り,学問としても体系を歴史的に知って欲しい,そんな理由からなの.
ただし,数学そのものとなると,授業で歴史などを話すのは可能.でも,文化としての奥深さをにおわせるほどの腕力もないし...で,いつも思うのは,数学の文化は自分で愉しみとして大切にしていることで,人様にお話するのはどうか....という気持ちがあるの.
何かに迷うと,常に数学というより,その文化に自分を投げ込んで,それで現実に戻る,そんことの繰り返しなの.もちろん,迷いがなくなるわけでもなく,ただ,数学の中でじっと考えたい,そんなことかなー.あくまでも自分自身で文化を感じて,それで自分の中でしかわからない,そんなもの.
ジョギング,そんなことと同じで,毎日,ひたすら走っているけど,スポーツを語るなんて,絶対に無理だし.数学も毎日使って,それで勝手に文化も感じて....だけど,語るのは難しいの.
考えてみたら,教養だけど,語るのって難しい,そんな気が....専門との同化は語れるけど,そのカタチは自分で自分の中につくる,そんなものかなーと.しかも,自分という形成には必要だけど,あえて外に語るのはどうか....
文学も嫌いじゃないけど,これについてはカタチも自分の中になくて,ただ,生きるための糧,そんな位置づけ.音楽なんて,語るどころか,自分もで自分が何が好きか,理解できない,そんなこと.
だけど,大切なことはわかっているの....で,この視点って専門がきっちりあるから,そんな気が....ココイラは難しいけど.教養は専門には必要だけど,でも,それは専門をカタチにするのに自分の内面で使っているもので,コレだけを抜き出して....というのが難しいように思えてならないの.あくまでも,部分を部分として教えることは可能だけど,でも真髄が....
教養って何だろう,そしてどう教えるのか,難しいの.
がんばりましょう.