前親方が解雇された時津風部屋。
師匠不在のまま、後継者の申請期限を迎えたが、今日付で部屋の時津海が引退し、「時津風」を襲名して部屋を継承した。琴ノ若以来の、引退後即部屋経営である。
大変分かりにくいが、「双葉山道場」に端を発する現在の「時津風部屋」の当主としては双葉山・鏡里・豊山[勝]・双津竜[順]に続いて5代目、名跡としての「時津風」襲名者としては、大坂(阪)相撲時代も入れて16代目となる。
今回の騒動では“取り潰し”も考えられたが、“名門”ということも考慮され、存続が許された。
しかし、「時津風一門」という名称は、今後変更される可能性があるという。
一門と言うのは、一門名の部屋の系統によって形成されたものである。
時津風部屋は、昭和16年12月24日付で双葉山(現役で年寄資格)が、立浪部屋から独立して創設された「双葉山道場」が嚆矢である。
その後20年11月26日に引退して「時津風」を襲名し、部屋は「時津風部屋」と改称された。
そうした中で、師匠を亡くした井筒部屋(もと幕内星甲・19年9月23日死去)や独立の際には親友の粂川部屋(もと大関鏡岩)と、双葉山を慕って小部屋を傘下に収め、錦嶋部屋や伊勢ノ海部屋も一門に加わって、時津風一門が形成されていった。
師匠が交代したところで、相撲界に対する不信感を拭いきれるとは思えないが、まずは新しい親方の下で部屋の力士たちが、これまで通り相撲を取り続けられる環境が出来たことは喜ばしい。
同時に、良いところはほとんど触れず、悪いところは何十倍にも増幅して報道するワイドショー的な情報には用心したいものだ。
「銀河大角力協会」更新しました。
師匠不在のまま、後継者の申請期限を迎えたが、今日付で部屋の時津海が引退し、「時津風」を襲名して部屋を継承した。琴ノ若以来の、引退後即部屋経営である。
大変分かりにくいが、「双葉山道場」に端を発する現在の「時津風部屋」の当主としては双葉山・鏡里・豊山[勝]・双津竜[順]に続いて5代目、名跡としての「時津風」襲名者としては、大坂(阪)相撲時代も入れて16代目となる。
今回の騒動では“取り潰し”も考えられたが、“名門”ということも考慮され、存続が許された。
しかし、「時津風一門」という名称は、今後変更される可能性があるという。
一門と言うのは、一門名の部屋の系統によって形成されたものである。
時津風部屋は、昭和16年12月24日付で双葉山(現役で年寄資格)が、立浪部屋から独立して創設された「双葉山道場」が嚆矢である。
その後20年11月26日に引退して「時津風」を襲名し、部屋は「時津風部屋」と改称された。
そうした中で、師匠を亡くした井筒部屋(もと幕内星甲・19年9月23日死去)や独立の際には親友の粂川部屋(もと大関鏡岩)と、双葉山を慕って小部屋を傘下に収め、錦嶋部屋や伊勢ノ海部屋も一門に加わって、時津風一門が形成されていった。
師匠が交代したところで、相撲界に対する不信感を拭いきれるとは思えないが、まずは新しい親方の下で部屋の力士たちが、これまで通り相撲を取り続けられる環境が出来たことは喜ばしい。
同時に、良いところはほとんど触れず、悪いところは何十倍にも増幅して報道するワイドショー的な情報には用心したいものだ。
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さて、毎場所引退力士が10人程度出るわけですが、この事件で引退力士の数が増加するのか?おそらく退めると言い出す力士、それも言わずにスカす(部屋を脱走する)力士を引き留めることは著しく困難になったと思われます。
もし引退力士の数に変化がなければ、この事件は時津風部屋の体質によるものであり、相撲界全体が暴力的ではないという証明になる(だからと言って、時太山=斉藤俊さんの命が元に戻るわけではないんですが)と思われるのですが、さあ、どうなるか?
逆に、新弟子はかなり減っていくでしょうね。ますます未経験者が入りにくくなる。今後は学生相撲で上位に入った力士ばかりになりそうな気も…。この人たちは、大学なりで相撲部屋らしきことをやってますからね。