五月場所が終わり、5月31日は令和五年七月(名古屋)場所の番附編成会議が行なわれた。
新十両力士一覧
引退力士情報
関脇霧馬山(陸奥、モンゴル)が大関に昇進。伊勢ノ海理事と枝川審判委員が使者として派遣され、「大関の名を汚さぬよう、今まで以上に稽古して頑張ります」との口上を述べた。なお、師名「霧島」に改名した。
十枚目昇進者が発表され(待遇・改名は番附発表日より)、川副改メ輝鵬(宮城野、熊本県)・獅司(雷、ウクライナ)・勇磨(阿武松、大阪府)の新昇進、紫雷(木瀬、東京都)・千代の海(九重、高知県)の再昇進が決まった。
川副は令和4年9月幕下15枚目格付出で初土俵。4~5勝を続け5場所で関取昇進したが、1月初土俵の落合が1場所で十枚目に上がり、来場所はおそらく新入幕(伯桜鵬に改名)。あっという間に抜かれてしまったが、輝鵬もすぐ上がれるだろう。なお、炎鵬が幕下陥落濃厚である。
獅司は令和2年3月入間川部屋に初土俵。3年3月新幕下、7月上位進出だが関取までは2年かかった。師匠停年を前に雷親方が継承し、雷部屋初の関取となった。また、史上初のウクライナ出身関取である。
勇磨は平成26年3月初土俵。29年11月は最高位の三段目45枚目だったが、4場所全休して番附外に陥落。30年9月再出世。令和元年11月新幕下。2年3月上位進出も全休、3年1月上位に戻ったが2場所全休とけがに泣いた。4年9月7番相撲で敗れて優勝を逃したが、1月以降3場所連続勝ち越し、5月は東5の5勝で運良く関取昇進を決めた。
紫雷も平成26年3月初土俵。令和4年1月十枚目入りで柴雷に改名するも、自主的に全休して関取としては1日も土俵に立てず。翌場所も幕下上位を維持するが、あと一歩で関取復帰を逃し、1年半以上経ったがようやく“新十枚目”。
千代の海は平成27年5月濵町で初土俵。11月千代の海に改名。28年3月新幕下はいきなり上位。30年7月新十枚目、8場所で陥落して令和2年3月再十枚目、2場所で落ちて11月3回目の関取は4場所(うち1場所は計画休場)。3年7月以降は幕下暮らしだが、ほぼ上位を維持して2年ぶりに4回目の関取に復帰。
番付発表は6月26日の予定。
銀河大角力協会
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引退力士情報
関脇霧馬山(陸奥、モンゴル)が大関に昇進。伊勢ノ海理事と枝川審判委員が使者として派遣され、「大関の名を汚さぬよう、今まで以上に稽古して頑張ります」との口上を述べた。なお、師名「霧島」に改名した。
十枚目昇進者が発表され(待遇・改名は番附発表日より)、川副改メ輝鵬(宮城野、熊本県)・獅司(雷、ウクライナ)・勇磨(阿武松、大阪府)の新昇進、紫雷(木瀬、東京都)・千代の海(九重、高知県)の再昇進が決まった。
川副は令和4年9月幕下15枚目格付出で初土俵。4~5勝を続け5場所で関取昇進したが、1月初土俵の落合が1場所で十枚目に上がり、来場所はおそらく新入幕(伯桜鵬に改名)。あっという間に抜かれてしまったが、輝鵬もすぐ上がれるだろう。なお、炎鵬が幕下陥落濃厚である。
獅司は令和2年3月入間川部屋に初土俵。3年3月新幕下、7月上位進出だが関取までは2年かかった。師匠停年を前に雷親方が継承し、雷部屋初の関取となった。また、史上初のウクライナ出身関取である。
勇磨は平成26年3月初土俵。29年11月は最高位の三段目45枚目だったが、4場所全休して番附外に陥落。30年9月再出世。令和元年11月新幕下。2年3月上位進出も全休、3年1月上位に戻ったが2場所全休とけがに泣いた。4年9月7番相撲で敗れて優勝を逃したが、1月以降3場所連続勝ち越し、5月は東5の5勝で運良く関取昇進を決めた。
紫雷も平成26年3月初土俵。令和4年1月十枚目入りで柴雷に改名するも、自主的に全休して関取としては1日も土俵に立てず。翌場所も幕下上位を維持するが、あと一歩で関取復帰を逃し、1年半以上経ったがようやく“新十枚目”。
千代の海は平成27年5月濵町で初土俵。11月千代の海に改名。28年3月新幕下はいきなり上位。30年7月新十枚目、8場所で陥落して令和2年3月再十枚目、2場所で落ちて11月3回目の関取は4場所(うち1場所は計画休場)。3年7月以降は幕下暮らしだが、ほぼ上位を維持して2年ぶりに4回目の関取に復帰。
番付発表は6月26日の予定。
銀河大角力協会