もと大関北天佑の二十山[はたちやま]親方が腎臓ガンで亡くなった。
わたしが相撲を観始めた頃、既に大関であった。
残念ながら2度の優勝の何れも記憶がないが、去年亡くなった二子山(もと大関貴ノ花)親方の在位50場所に次ぐ、大関在位は44場所を数えた。
当時の横綱・大関陣が引退し、みな部屋を興した。
大関を出した名門もあれば、かなり後になってから部屋を興した親方、他の部屋と合併して大きくなった部屋…。
そんな中で二十山部屋は、創立は早かったが、なかなか弟子が育たない部屋であった。
これは親方の指導方針にあった。有望な力士をどんどん伸ばすのではなく、全体を強くしてみんなで上がっていこう…というわけだが、それではなかなか上手くいかない。
ようやく数年前、初の幕下力士(勝天佑)が生まれた。
勝天佑自身はその後も三段目と行ったり来たりだが、露鵬の弟白露山の加入により、一躍知名度が上がった。
白露山はあれよと言う間に十両・幕内に上がり、部屋初の関取に昇進。
三役を目指す白露山を筆頭に、まさにこれからと言う時であった。
行年45歳、あまりにも早すぎる死によって、あっさりと二十山部屋の幕は閉じた。
力士たちは北の湖部屋に転籍すると言う。
二十山親方のご冥福をお祈りします。
わたしが相撲を観始めた頃、既に大関であった。
残念ながら2度の優勝の何れも記憶がないが、去年亡くなった二子山(もと大関貴ノ花)親方の在位50場所に次ぐ、大関在位は44場所を数えた。
当時の横綱・大関陣が引退し、みな部屋を興した。
大関を出した名門もあれば、かなり後になってから部屋を興した親方、他の部屋と合併して大きくなった部屋…。
そんな中で二十山部屋は、創立は早かったが、なかなか弟子が育たない部屋であった。
これは親方の指導方針にあった。有望な力士をどんどん伸ばすのではなく、全体を強くしてみんなで上がっていこう…というわけだが、それではなかなか上手くいかない。
ようやく数年前、初の幕下力士(勝天佑)が生まれた。
勝天佑自身はその後も三段目と行ったり来たりだが、露鵬の弟白露山の加入により、一躍知名度が上がった。
白露山はあれよと言う間に十両・幕内に上がり、部屋初の関取に昇進。
三役を目指す白露山を筆頭に、まさにこれからと言う時であった。
行年45歳、あまりにも早すぎる死によって、あっさりと二十山部屋の幕は閉じた。
力士たちは北の湖部屋に転籍すると言う。
二十山親方のご冥福をお祈りします。
まさか、ガンだったとは・・・。
ご冥福をお祈りします。
去年の二子山さんのときも驚きましたが、かなり悪いことは伝えられていましたから、「ついに」という感じはありました。
今回の二十山さんは衝撃でした。
最近も貴ノ浪の音羽山さんが一時重篤になりましたし、親方衆には体調をしっかり管理して頂きたいですね。