長らく試行設置としていた、「銀河大相撲協会」の掲示板「銀角通信」だが、このたび「さちかぜ通信」として、各局(サイト)共通の掲示板に改めた…といっても、滅多に書き込みもないので、あまり意味はない。
さて、雑誌「相撲」(ベースボール・マガジン社刊)5月号、「相撲部屋聞き書き帖」のコーナーで、立浪部屋に「玉治郎は6代目だった」と題する記事が載っている。
我が銀角の「行司名跡の代々」(木村玉治郎)にも、当代は5代目として記載しているが、この記事の通りだとすれば、1代加わって6代目となる。
この“ナゾの玉治郎”については、実は以前に「銀角通信」に書いたことがあり、ちょうど2年前の平成18年4月頃の書き込みに、次のものがある。
明治31年5月~32年1月の2場所、番附行司欄3段目の中ほど(上位から19人目)に、「木村玉治郎」という文字が見えます。
前後の位置から見て、前場所までの「初(正確には示す偏+力だが、そのような文字はない)太郎」の改名かと思われます。
32年5月には消えているので、廃業?
備忘録として書いたものなので、「行司名跡の代々」にも反映せず、当面は保留としてそのままにしておいた。
今般の指摘は、以前同誌に「年寄名跡の代々」を連載していた小池謙一氏によるもので、これは信頼できるだろう。
結局のところ、新・2代目玉治郎についての詳細は、分かっていないようだが、いよいよ“初太郎玉治郎”を復権させる時が来たようだ。
さて、雑誌「相撲」(ベースボール・マガジン社刊)5月号、「相撲部屋聞き書き帖」のコーナーで、立浪部屋に「玉治郎は6代目だった」と題する記事が載っている。
我が銀角の「行司名跡の代々」(木村玉治郎)にも、当代は5代目として記載しているが、この記事の通りだとすれば、1代加わって6代目となる。
この“ナゾの玉治郎”については、実は以前に「銀角通信」に書いたことがあり、ちょうど2年前の平成18年4月頃の書き込みに、次のものがある。
明治31年5月~32年1月の2場所、番附行司欄3段目の中ほど(上位から19人目)に、「木村玉治郎」という文字が見えます。
前後の位置から見て、前場所までの「初(正確には示す偏+力だが、そのような文字はない)太郎」の改名かと思われます。
32年5月には消えているので、廃業?
備忘録として書いたものなので、「行司名跡の代々」にも反映せず、当面は保留としてそのままにしておいた。
今般の指摘は、以前同誌に「年寄名跡の代々」を連載していた小池謙一氏によるもので、これは信頼できるだろう。
結局のところ、新・2代目玉治郎についての詳細は、分かっていないようだが、いよいよ“初太郎玉治郎”を復権させる時が来たようだ。
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