モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

モノスヤかぼちゃと闘う。

2008-01-28 20:38:59 | いろんな話。
この世の中で不味いカボチャほど”たち”の悪いモノはない。
と思う。


考えてみれば。
なんだって不味いモノは、やっかいに違いないのだけど。

例えば、ジャガイモ。
例えば、サツマイモ。

似たようなモノでも、まだそれらなら救いようがある。

それらはわりあい、なんにでも化けるし。
味のつけようで、ごまかしようがあるけど。

カボチャ。カボチャは、どうにもいかん。
(※この場合gooブログ仲間のカボチャさんとは関係ない話だじょ)


あるところに、カボチャが二つ転がっていた。
あるところといっても、それは我が家の小屋。

そのカボチャは母R子が買ってきたものである。

所有権者のR子に私は尋ねた。
「あのカボチャ、どうするつもり?」

するとR子は空を見上げ、こう応えた。

「最近カボチャとの間には、よい思い出が無いからなぁ・・・。」


何の話よ。カボチャとの思い出って。

単に所有権を放棄したことの裏返し。
やれやれと首をすくめながら私は、そのカボチャと格闘することに決めた。


小屋に行こうとする私の背中にR子が投げた言葉。

「ダメになってるかも、うひひ。」

なんて親なんだ。


恐る恐る二つのカボチャを手にすると、
これといった変化は表面上では見られなかった。

小屋から持ってきたカボチャ二つを見て、R子が。

「中は悪くなってるかも、いひひ。」

いぢめですか。


カボチャと対峙するには、まず割れ目を作らなきゃならない。

大き目のビニル袋に入れると、
それを渾身の力を込めて土間に叩きつける。

といっても私の場合、
渾身の力の6割くらいで叩き割ることができる程度。

これがカボチャと格闘する間違いなく確実な方法。


割れ目から覗いた肌には何ら異常も見当たらず、
カボチャは想像以上の保存状態。

そこからワタを取り除いて、
ある程度の大きさに切り分け全てを面取りして。

1/4は冷凍。1/4を含め煮。

残り半分・・・要するに一個分はマッシュカボチャ(?)にした。


しかしマッシュカボチャをしていても含め煮をしても、
なんとも言われぬ手応えの無さ。

カボチャなのにカボチャじゃない。


カボチャの味がせん。甘味もない。
色、見た目はカボチャそのものなのだが味が。

そして水気ばかりが多くて、べちゃべちゃ。

蒸しパンにしようと思い、つぶしてマッシュにしたものの。
粉をまぶしても固まる気配なし。


少し投げやりになりながら耐熱のカップに流し入れ、レンジへ。

火は通るものの蒸しパン状態に膨れる様子は無い。

諦めた。
諦めて竹串を差し、なにもついてこないのを確認して試食。

味は悪くない。
なのに何ともいえない、やる気の無さ。


こいつを、どう更正させてやろうか。
などと思いながら。

ボール二つ分の潰されたカボチャを眺めて。


あらためてケーキ型に流し入れ焼いてみることにした。



くるみ・アーモンドスライス・甘納豆の余りを入れてみた。

ボールの一つ分に買い置きのHCMを使ってしまったので、
こちらは小麦粉とBP(ベーキングパウダー)を使う。

膨らむのか不安だったけど。それなりな感じで。



型から抜くこともできて、すこしホッとする。


しかし一見、何の食べ物だかまるでわからないね!



切り口は、こんな感じ。


包丁を入れた感触は、
ケーキでもなくパンでもなく。なんだろう?

モッチリとした触感だ。


薄切りにしたのを恐る恐る食べてみる。


あ、カボチャだ。

あんなに(?)文句垂れた割に焼いたらちゃんとカボチャだった。
意外と旨い。


しかし、なんか懐かしいような。
かつて食べたことのある何かに似てるような、と思ったら。


『がんづき』だ。

雁月に似てるんだ。
母R子と娘M嬢の大好物。


さて。
明日は母R子の御師匠様のご命日なので仏前に供えてから、
お昼ごはんに食べるとするか。

ちなみに後のボール一つ分は天板に流し入れ、
バーケーキ風にしてみた。

HCMの効果か、サクサクとした食感でそれもなかなかイケル。


含め煮は冷めて味が染みたら美味しくなっていたし。

箸にも棒にもかからないと思っていたカボチャも、
ムダにしなくて済みそう。


しかし、カボチャの食べ過ぎで顔は黄色くならないかしらね?

こめくう。

2008-01-28 08:58:14 | いろんな話。
それは”米”という気がする。
(少し昔に、ちょっとした米騒動も勃発したが最近は安定していると思う。)


逆に生産者にとれば減反やら。
不作、凶作かと思えば豊作による値崩れ。

安定した価格は安定した収入には反映されないらしい。

豊作貧乏なんて言葉も聞かれて、その胸中は複雑らしい。


購入する側にすれば、
おいしいお米が安価で手に入るのは有り難い話なんだけど。

社会科で娘M嬢の学んでいたことからしても、
お米。八十八の手間をかけて作られる、といわれるそれ。

面倒と難儀の割に、
もしかしてコメ価格って安い(安過ぎる?)のかも。


価格の面以上に米の消費が減っているらしいことも気懸かりだ。

うちは家族3人、
大人2人+子供1人だが。

一日に米を4合程度、食しているようだ。

少なくとも3合では間に合わないそうだ。

誰から聞いた話なんだ、と言われそうだが母R子です。

なぜか、わが家は”米”に関してだけは担当がR子である。
この分業体制いったいどういうわけなんだか。

私もよくは、わかりません。

コメ以外の食費は私の懐でまかなわれ、
そのコメだけは母R子の財布から。


それはさておき。

女子供3人が一日に食べるコメの量として4合が妥当かどうか。
それも私には、よくわからない。

ちなみに娘M嬢の昼食は給食。

大人二人は仕事の合間にパン食。

夜は麺食のことも多く、その場合のコメ消費は2合程度になるだろう。

ってことは1食で2合も食ってるの?


多いのか少ないのか。
よく、わからない。

昔習ったハズなのに、もうすっかり忘れたので調べた。


お米1合は150gか160gで(なぜかアイマイ)、
それを炊くと350g位のご飯の量になる。

茶碗1杯のご飯の量は、だいたい160g程度。

1合だと2杯と、ちょっと余る計算。


わが家は母R子と私で、
まちがいなく朝はキッカリ2膳ずつご飯を食べる。

娘M嬢は少し小さめの茶碗で1杯と、
おかわりをちょこっとする。

と計算すると全部で5膳(5杯)+α、
160g×5で800g。

間違いなく1食分のコメの量は2合じゃ足りない・・・・・・。


朝と夕で、まともにコメを食ったら。
そりゃ3人で4合じゃ間に合わない。

1日平均、600gの米を食う。

30kgの米は50日くらいで底を、ついてしまう。


わが家の事ながら、ちょっと呆れてみた。


どうりで、去年頼んだ30kgと追加した10kgの米。

最早なくなるわけよね。


誰かに盗られているのか(ねずみか?)などと疑ったが、
みんなうちらの腹ン中に入っていたんだね。