モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

面接官

2008-01-31 21:02:01 | いろんな話。
だから、どんな相手に当たっても。
運を天にまかせ、なりゆき任せで退治するしかないのだけど。

・・・ん?退治?・・・

ヤマタノオロチじゃあるまいし。


例えば幾つかあるレジ列の中、
最短時間で会計を済ませることのできそうなレジを選ぼうとする。

そうしたら、そのレジが。

たまたま見習生の、まだ不慣れなレジ台だったり。
すぐ前のお客さんが、お金を出すのにとてつもなく時間が要ったり。

他所のオバチャン握り締めたチラシを指差しながら、
クレームをつけ始めたりすると。

自分の選択を呪わしく思えこそ自業自得と諦めるしかないが。

面接官の当たりの悪さは、
いったい何を呪い誰を恨めばいいのだろう。

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トントン、ガチャ。失礼します。

進路指導の先生に言われたとおりのセオリーで入室すると。

3人居並ぶ面接官の真ん中で、
にっこりと温和な微笑みを絶やさずいる人が。

「○○番、S中学校、モノスヤ(仮名)です。」

と名乗りイスにドッカと腰を下ろした私に。

「もう一度♪」

と穏やかに語りかけた。


何のことか一瞬、状況がわからなかった私が。
イスの上で、キョトンとしていると。

「やり直し♪」と、その面接官は私に向かってそう言った。

促されるままにイスから立ち上がり部屋を出る。

私はドアの前で大きく息を吸って、もう一度最初からやり直した。


やや憮然とした表情(だったと思う)で再びイスに腰を掛ける。

すると先生は、さっきと変わらぬ柔和な笑みでまた。

「はいやり直し、もう一度♪」

と、そう言った。これが都合、3度続いた。


繰り返した3度目、
私が憮然を通り越してキレ寸になりながら真ん中を見据えると。

「なんで3度もやり直しさせられたか?あなた、わかりませんか?」

「わかりません。」私は、そう答えた。
本当に、まったく理由がわからなかったのだ。


「あなたは、よそのお家に入るのに、
”どうぞ”と言われる前にズカズカと勝手に上がり込むのかな?」

先生は変わらぬ笑顔で、しかし厳しい一撃を私に食らわした。

言われたことが、すぐには理解できず。
返す言葉も無く、じっと相手の顔を見続けていると。

「あなたは私が”どうぞ”と言う前にイスに座ったでしょ♪」

だから3度もやり直しをさせたのだよと、
そう言われてハッとしたものの。

もう後の祭りだ。

矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、このクソオヤジ!
と内心、舌打ちをした私。

(T先生、本当にすんません。)


どうせ負けるなら、いっそ一思いにやられてしまいたい。

もう結構です、と言われ退室させられたら。
どんなに良かったか。

面接官の笑顔に騙され、ほんの一瞬でも「イケル?」などとほくそ笑んだことを。

苦々しく思いながら。

面接官の当たりが最悪に悪かったのだ。
などと自分の失態を棚上げして相手を恨むなど、
まるで子供だった私。


そこで推薦入学試験は終わり、にはならなかった。

そこから短くて長い面接の本番が始まったのだ。


本当に、どうしてあの学校に入れたのか。

どうして入れてもらえたのか、まったく謎だ。未だに。

高校入試。

2008-01-31 09:29:01 | いろんな話。
昨日、無二の親友Uちゃんと久方ぶりに会った。

Uちゃんは私の高校時代の同窓生であり、
そして中学も小学も一緒である。

Uちゃんといえば私、私といえばUちゃん。
と共通の友人らで私らをセットで思い出す人らは多いらしい。

実際、高校時代の二人は頻繁に取り違えられていたものだ。


さて。
一足早く受験生の親となったUちゃんが昨日、
愛娘ちゃんの受験の付き添いで奇しくも我らが母校A商業を。

ウン十年ぶりに訪れたという現地速報メールが届いた昨日は。

高校受験の前期選抜日程だったと、そのとき知った。

受験システムも様変わりし、
いまは「前期」「一般」「後期」に分かれているのだという。

そんなことも全く関せない、まだまだ他人事の私。
ふむふむと親友から情報を仕入れる。


思い起こせば、さかのぼること20数年前。

丁度この時期、私も花の受験生だった(ハナ?)。

私は同じ部活のKの父君が運転する車の後部座席に、
Kと乗り合わせ。

K母に伴われてA商業の門をくぐった。
それこそ我々の時代の推薦入試日当日の出来事である。


私には母以外に身寄りは無く、
しかし家には母という人がいたはずだが。

なぜだか私は他所の父母に伴われて受験をした。

ということを昨日のUちゃんからのメールで思い出して、
そのことを母R子に話をすると。

「誰だと思ってんの?」

答えにならない解答が寄せられた。

そして二の句は、
「何で、あたしが付き添わなきゃなんないわけ?」

何で、って我が子の人生最初のターニングポイントでっせ!

この話を受験を終えたUちゃんに話したら、

「ないよ」と言われた。

だよね。


もし私が母R子の立場で娘M嬢の受験時には、
まちがいなく私は娘に添うであろう。

とR子に言うと、「だろうね。」

「だって、あんたは免許持ってるもん。」

免許って車のかい。
そうゆう問題ちゃうねんかな、と内心思うが。

この人(R子)には何を言っても無駄だろう。


私は推薦入試の面接で史上最大、
且つ本校初といわれた武勇伝を残した。

それは、また後のネタに回すとして。

さすがのモノスヤ(当時中学3年生)もガックリとうなだれ受験場所を後にした。
(と思っていたが実は志望校でない受験を失敗したと思い逆にサバサバしていたらしきことが判明)


思いがけない吉報を手にするのは、その5日後となる。

その合格発表の日。
またしても母R子による驚愕の事実が明るみに出るが、
それを昨日Uちゃんと話すまで私はスッカリ忘れていた。

ある意味、忘れていたほうが私の幸せだったかもしれない。


可哀相なモノスヤ当時中学3年生女子。

詳細は後述するとして、
その高校入試の合格発表について。

一般入試後の発表その頃はまだ学校前に名前が掲示された時代だったと思う。

しかし残念ながら私は、それすらも見に行っていない。

もちろん母R子も見てはいない。
(先に知っていたせいもあるが)

昔は新聞別紙の記事にもなり(各校合格者一覧)、
そして各テレビ局でも速報が流れたものだ。

どれかで知ればいい話ではあるけれど。

見たかったじゃないか自分の名前が、
その春からの学び舎前に墨色濃く記されているのを。


という今更な昔話を恨み節雑じりに母R子に訴えると。

彼女は、こう言った。

「自分の(R子本人の)合格発表すら見に行ってないのに、
なんでアンタのわざわざ見に行かなくちゃならないのよ!」

な、なんでって母さん・・・・・・。

自分の入試の折は両親揃って発表を見に行った、
と私は祖父母から聞いたよ・・・・・・。


子供が行かなくても親は飛んで行く類のものじゃないのか?

なんでって、わたしはあなたのたった一人の子ですじゃ。


ああ可哀相なモノスヤ当時(以下略)

よくぞ、グレずに今日に至ってるわよねと。
とほほる今日この頃の私なのでありました。