なかなか、「ぽっかり浮かぶ雲だけ」を写すのは難しい。
私の場合だけ?
私の“しかく”(真四角ではない長方形)が雲だけを切り取れない。
建ってるものとか、そびえてるものとか線とか、、がジャマでしようがない。。。
私だけ?
切り取った真ん中の雲が、“モモンガ”のような“ムササビ”のような(あくまでイメージ。
はたまた、「カメのオナラ」のようにも見えてくる。
ぷぅ~。
午前中の空には、ふうわりふわりと浮かんだ雲が表情豊かだったのが。
M嬢を伴った夕方近くの空は見事に。
「なぁんにもないねぇ~」
とMも見上げて笑うくらいの青だった。
なにもない、といってもそこには空の青が存在しているわけだけどね。
しかも微妙にグラデーション。
ベタ塗りの青とも違う青さが。
帰り際、車に乗る前にふと視線を動かしたら。
ああ、こうゆうの好きだ。
太陽は、あっち側に行ったよ。
それで「また明日」と言っているかのような、それを追いかけて行く方向に我が家がある。
明日は、ようやく3人揃うなぁ。
“ねねちゃん”って日本大学藝術学部写真学科卒業か!(唐突な。
どうりで、こんなサイトが。
NENE OHTSUKA ←
ふぉとだらけ。
・・・・・・
病院との行ったり来たり生活も終盤戦。
数日間でも、それなりの大変さなのだから。
長患いになったら、もっとずっと過酷でしょうね。
たぶん、こんな風にブログに向かってる余裕もないくらい。
日常に、やることは“わんさか”あるんだなーということを実感する。
これが生きているって証かもしれない(この頃やたら生きる証拠ってことを考える。
命に別条のない病でも、それはそれなりに“万が一”のことを考えたりするものだと思う。
私のお産の際の担当医が「出産にも危険は伴うものなのだ」と口ぐせのように言っていた。
当たり前に皆してきたことなはず、と思っても。
やっぱり、もしもの時のことを考えた。
実際、「切迫早産」で“絶対安静”を言い渡された時は我が子(まだ母体の中)の身の危険を感じたし。
まだ0か月でM嬢が入院することになった時も、あれこれ“よくないこと”も考えた。
当たり前のような現実が当たり前でもないことを実感したりした。
その分、健康ということのありがたみも痛感する。
あんまり、そんな状況で味わいたくもないけれど、、
あまりに当たり前が過ぎると人間も慣れてしまって感謝もなくなったりするから・・・。
愚かだな、と自分のことを思いますね。
・・・・・・
自分や誰かが病気になった時に、
あらためて感じることは命の重みとか生きてる実感だけではない。
案外、自分のというか周囲のというか。
「こういう人だったか」
という意外性に気づいたりすることもある。
今回(今のところ)気がついた意外性は「実は私って甲斐甲斐しい」。
自分で言っちゃうな、って話だけどw
自分では、お世話好きでもないし面倒見もよくないほうだと思っていたが。
誰かが誰かの手を必要としている局面。
つまりは頼られている状況だと俄然、張り切って奮闘するんだということがわかりました。
案外、世話焼きだったらしい。
そして「大変~」「忙しい~」といいながら、チャカチャカと行動してあるくのも苦ではない。
普段、時間があるときよりも仕事がはかどる感じがするし自分の体調もいい。
気が張っているせいで、あとでパタッと倒れるかも(ダメだろ。
結局、貧乏性でジッとしているのが苦手で“のんびり”したタイプではないのでしょう。
だから並行して物事ができない人を見ると(たまに)イラッとくることがあります(すみません。
それは意外性っていうより単に性格的な問題か(汗。
きっと「働かされる」より「暇を持て余す」ほうが苦痛で拷問に等しいかもしれません。
そういう意味でも「本当にもう手の掛かる~」と言いながら私を働かせてくれる。
依存心の強い二人の同居人は私のためを思って(無理して)それに付き合ってくれてるのかも?
って違うか(笑)
しかし、こんな私(?)なのに、、どうして結婚生活が短期間で破たんしたのかは今もって謎です・・・。
そこは、また別問題?なの??
“白衣の天使”その名もナースさんには、いい記憶がない。
かつて、ナースさんが“女”であった頃。←?
再三再四(よくよく記憶を遡ったら入院歴は都合4回もあった)お世話になった私には、
ナースさんは“白衣の天使”どころか「白衣を着た悪魔」にしか思えなかったものだ。
間違いなく私が嫌だな、と思うことをしてよこすし(仕事である。
間違いなく私は彼女らに恋心を抱くこともなく(同性愛という言葉は私の辞書に載ってない。
ナースさんに気持ちいいことや、ナースさんと気持ちいいことを、、
「してもらったり」「した」経験が皆無なので。。。
どちらかといわなくても私はナースさんが好きではない(全国のナースさん達ごめんなさい。
にっこり笑みを湛えて「ちょっと痛いですよ~♪」ということが、ちょっとどころでなかったり。
「具合は、どうですか~?」と聞かれ素直に症状を訴えても、
はいはいと聞いてはくれるが「それじゃ何かあったらナースコールしてくださいね♪」
と言い残してサッサと去っていく。
たいていは“ナースコール”を呼ぶほどのことではなかったりするのだ(愚痴か?
そんなこんなも含めて私は“白衣の天使”信仰もナースに対する妄想も抱きはしないし。
なまじっか“入院歴”も重ねていたりするので、
その人らに対する眼は他の人より手厳しいような気がする。
確かに沢山お世話になったり。
自分でできないことや人の嫌がることも一手に引き受けてくれて、
ありがたいという感謝もあるが。
それにしたって“白衣の天使”に見えたことがないのは、
たぶん一命を取り留めるのような状況に陥ったり。
家族が、そんな窮地を救われたりした経験が無いせいだと思います。
しかし好き嫌いは別にしても、
この世の中で尊敬に値する職業であることには昔も今も変わりはない。
間違いなく今まで一度も自分で「なりたい」とも自分が「なれる」とも思ったことがないし。
所詮、頭脳がついていかないので無理だけれども(まだ)“医者”を目指すほうがマシという気がしてしまう。
ナースさんを取り囲む状況は苛酷さを増すばかりで、
そういう意味でも性差を超えて看護師さんの数が増えるといいなとも思う。
激務なのだ。
やりたくないし、できない。
そんな職業を選んでくれる人が存在してくれるから私は「嫌」とか勝手も言えるのだ。
やっぱり、ありがたいと思う。
感謝しても感謝し尽くせない。
と思いつつ、ナースさんの仕事ぶりを実に手厳しくチェックしてしまう私は。
根っからの「小姑体質」だろうか、おお怖。←お前のことだよ
なんだか時折この人だいじょぶかな、と不安を覚える方がいたりするんですけど。
専門用語やナースさん同士の会話は、こちらには呪文のようなもので。
まったく理解は、できないのですが。
どうやら的を外れてるとか、かみ合わないってことくらいは聞いていても流れでわかる。
どこの世界でも同じなのね・・・・・・。
私は笑顔とか優しさを求めたりしないから(普通であればいい、
仕事がテキパキと速くて無駄がなく且つ雑でないのがいい!とか思ってしまう。
注文多過ぎ?(苦笑。
人柄とか性格とか、イイに越したことはないが。
プロは、それだけでは成り立たないものなのよ!
って、どこの世界でも同じですね。
昨夕の帰りの車の中で娘M嬢から、
「だあさんって“看護師さん”に向いてる、って気がした。」
と言われました。
ハンドルを握りながら同じこと私も考えていた。
しかし同僚からは「やりづらいタイプ」と思われること必至か?
何の職業でも同じですね・・・・・・w ←笑い事じゃないか。