モノスヤ☆のまきのテケテケあるある記。

花柳仲登嗣(モノスヤ)&仲真央(のまき)のコンビは2013年もブルワーズ青木を鋭意応援して生きます!!芸道も精進ちゅ♪

今日の空。

2008-10-09 19:06:15 | いろんな話。

時折、空や雲が怖いと思うことありませんか?


空や雲も生きていることを実感して、
あらためて畏怖の念に襲われることありませんか?


怖いと思いながら、この絶対的な存在感から目を離せない。



今日は青の空を覆い隠す雲の白やグレイを、しばらく見つめていました。


お前たちを、いつもここから見ているぞと言わんばかりの迫力に圧倒されながら。





ほら、あそこに空の眼が光っている・・・・・・。


こんにち山型パン。

2008-10-09 13:03:50 | いろんな話。

私のパン作りは本当に適当です。

私は、お菓子作りもアバウトなのですが。

パンも一応、粉をカップで量ったりしますが。

その量り方も、だいたいいい加減だったりします。


今日は強力粉が中途半端に残りそうだったので、

それを入れて他の粉を減らして調整したりしました。


間違っちゃいけないのは、お水の分量だけね。


強力粉が多いと膨らみと弾力が増します。



はちきれんばかり。

ぴちぴち。




なぜか中央部だけ盛り上がる。

そこだけ巨人軍か!(違?


アンチ巨人としては阪神のふがいなさに腹が立つばかり。


パンには、なんの責任も無いけどね!




自分で言うのもなんですが実に見事な食パンぶりです。

偉いぞホームベーカリー!

かっ飛ばせ!


あどけない話。

2008-10-09 09:01:09 | いろんな話。

私が昨日の『今日の空。』で、
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嗚呼、自然とレンズが織りなす色彩美。

見事なコントラスト、かけがえのない今日の一コマ。
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と綴ると「智恵子抄」みたいといわれたのは。

たぶん“高村光太郎”的な、という意味だと思います。

もちろん、ご本人が知ったら心外に思われると思うので。

どうぞ内緒にしておいてください。


高村光太郎といえば、やはり「智恵子抄」。

でも私の中で一番に印象が強いのは「道程」のほうです。


「ああ、自然よ」

と続けたくなるのは私の中での、そんな刷り込みかもしれない。

・・・・・・

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。

という出だしで始まるのは「智恵子抄」の中の一つ、

『あどけない話』です。


阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。

という、あどけない話も私は好きな一編です。


東京で、たまたま空を見上げた時には、、

この詩が何となく心に浮かんできますよね・・・。


私の見上げる東京の空は、やっぱり私の親しんだ地元のそれとは違うので。

これは“空”だけれど空じゃないような、

でもきっと見る人が変われば「これが紛れもなく私の空だ」と思うかもしれないし。


私も足が遠くなって久しい、その場所に今度行くことがあったら、、

もしかしてまた違った空が見えるかもしれない。。。


そんなことを考え始めると、どこまでも楽しくなってしまいます。


もしかして、たぶん高村光太郎の詩は楽しいばかりではなく。

そこに“生”のきびしさや、かなしみが詰まっているように思うけれど。

何となく読むと、ほの楽しい気分になるのは。

そこに愛が溢れているから、という気がします。


『レモン哀歌』という詩があります。

高村光太郎/ポエトリージャパン ←

これは決して明るい詩ではなく、それこそ“死の床”が書かれたものなのに。

そんな詩さえも、どこか爽やかで明るい陽のひかりの差し込むような。

白いカーテンが窓辺で風に、ふわりと揺れるような。

最期の瞬間を、そんな風に綴れるのは本当に見事だなと思う。


詩は、いいですね。


私の詩のはじまりは忘れもしない小2の時で。

そのときの恩師が私たちに詩を書かせたら、
それが生まれて初めて詩というものを書いた経験でしたが。

それを恩師が読んで、「いいよ、すごくいいよ。」と褒めてくれて。

いっぱい、いっぱい書きなさいと言ってくれたのを今も覚えています。


それから学生の折、社会人になっても。

詩は、ところどころで書いていました。


ただ私の場合、今一つの感性なのと困ったことに恋愛感情を抱く相手に恵まれないと。

浮かんでこないので。

いつなりかつなり書けないのが、とても残念(笑)


また、あらためて高村光太郎なども読み返してみたら。

ああ“詩”は、いいなあと思いました。


また恋が、したくなりましたw


それに頼らずに(?)綴れるようになったら最高なのに、と思うのだけど。


いずれ対象が何に関わらず、きっと“愛”がなければ詩は書けないと思いました。
私の場合。


愛なんて恥ずかしげもなく言えるようになった自分を大人になったなと、しみじみ思います。