私が昨日の『今日の空。』で、
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嗚呼、自然とレンズが織りなす色彩美。
見事なコントラスト、かけがえのない今日の一コマ。
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と綴ると「智恵子抄」みたいといわれたのは。
たぶん“高村光太郎”的な、という意味だと思います。
もちろん、ご本人が知ったら心外に思われると思うので。
どうぞ内緒にしておいてください。
高村光太郎といえば、やはり「智恵子抄」。
でも私の中で一番に印象が強いのは「道程」のほうです。
「ああ、自然よ」
と続けたくなるのは私の中での、そんな刷り込みかもしれない。
・・・・・・
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
という出だしで始まるのは「智恵子抄」の中の一つ、
『あどけない話』です。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
という、あどけない話も私は好きな一編です。
東京で、たまたま空を見上げた時には、、
この詩が何となく心に浮かんできますよね・・・。
私の見上げる東京の空は、やっぱり私の親しんだ地元のそれとは違うので。
これは“空”だけれど空じゃないような、
でもきっと見る人が変われば「これが紛れもなく私の空だ」と思うかもしれないし。
私も足が遠くなって久しい、その場所に今度行くことがあったら、、
もしかしてまた違った空が見えるかもしれない。。。
そんなことを考え始めると、どこまでも楽しくなってしまいます。
もしかして、たぶん高村光太郎の詩は楽しいばかりではなく。
そこに“生”のきびしさや、かなしみが詰まっているように思うけれど。
何となく読むと、ほの楽しい気分になるのは。
そこに愛が溢れているから、という気がします。
『レモン哀歌』という詩があります。
高村光太郎/ポエトリージャパン ←
これは決して明るい詩ではなく、それこそ“死の床”が書かれたものなのに。
そんな詩さえも、どこか爽やかで明るい陽のひかりの差し込むような。
白いカーテンが窓辺で風に、ふわりと揺れるような。
最期の瞬間を、そんな風に綴れるのは本当に見事だなと思う。
詩は、いいですね。
私の詩のはじまりは忘れもしない小2の時で。
そのときの恩師が私たちに詩を書かせたら、
それが生まれて初めて詩というものを書いた経験でしたが。
それを恩師が読んで、「いいよ、すごくいいよ。」と褒めてくれて。
いっぱい、いっぱい書きなさいと言ってくれたのを今も覚えています。
それから学生の折、社会人になっても。
詩は、ところどころで書いていました。
ただ私の場合、今一つの感性なのと困ったことに恋愛感情を抱く相手に恵まれないと。
浮かんでこないので。
いつなりかつなり書けないのが、とても残念(笑)
また、あらためて高村光太郎なども読み返してみたら。
ああ“詩”は、いいなあと思いました。
また恋が、したくなりましたw
それに頼らずに(?)綴れるようになったら最高なのに、と思うのだけど。
いずれ対象が何に関わらず、きっと“愛”がなければ詩は書けないと思いました。
私の場合。
愛なんて恥ずかしげもなく言えるようになった自分を大人になったなと、しみじみ思います。