TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

朝ドラだもの

2024年10月24日 | エッセイ
今月から始まった朝ドラ『おむすび』は、ネット情報によると不評である。
年配の視聴者には、いきなりのギャル登場が受け入れ難いのだろう。
自分と同じ栄養士の話と聞いて当初楽しみにしていた母も、このギャルの登場に抵抗を覚え、最近は見ていないようだ。初の朝ドラ離れである。
わたしはというと、相変わらず、録画をして見ている。
前回の『虎に翼』に比べれば軽いが、そうした重みは、北村有起哉さんの高校生姿で、すでに諦めた。
ギャルという珍しい存在も、このように改めて目のあたりにすると新鮮である。
父と娘、祖父と父の確執などなにやら思わせぶりなのも、遠からず明らかにされて溶けていくのだろうな、というのも想像できる。(だって朝ドラだもの)。
幼馴染や野球部のヒーロー、書道部の部長……ヒロインに今後絡んでいくと思われる男性陣が早くも3人登場した。

1日の始まりのこの時間、ドロドロしたくない。
こんがらがった気分になりたくない。
15分という時間も大事だ。これが30分だとさすがに辛い。
褒めているのか、くさしているのかわからないが、しばらくは見ていこうと思う。
わかりやすさ、あっさり感、スピード感は大事である。
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2024年10月20日 | エッセイ
「今日の日中はひんやりしそうです」という天気予報士のセリフを聞いて、ホッとする。
寒いなら寒いで外に出たくないが、体力全部むしり取られるような暑さはもう御免である。

先週の金曜日、両親の床屋に付き添った。
駅前の格安な床屋である。
父はひと月に1度ほどマメに通っている。
ポヤポヤと生えている程度なのだから、通う間隔をもう少しあけてもいいのではないかと思うが、短いなら短いなりに、少ないなら少ないなりに、耳回りのボサボサ感が気になるらしい。
カットだけではなく、シェービングや洗髪をしてもらったりすると、気持ちもさっぱりするようだ。
母はここのところカットだけなので、前髪がほぼ真っ白である。
自分の目に見える部分がことさら白いので、黒い布帽子をかぶって隠している。
「誰に会うわけでもないんだから、別にいいんだけど」と言いつつ、内心、気にしているようだ。
染めようかしら、染めようかしら、と言いつつも、最近の美容院はどこも予約制なのが億劫らしく、結局は父と同じ床屋でカットだけしてもらうことになる。
ふたりが切ってもらっている間、わたしは後ろに座って待っている。
「付き添い用」の席というのがあるのだ。
ぼんやりとした付き添いなので、なにぶん気が利かない。
スタッフに、「終わりましたよ」と促されて初めて気がついて迎えに行く。

父母ともに相変わらず、杖をつかない。
人目をはばかっているのだ。
杖をついて歩いてくれたほうが、よほど周囲に危なっかしい思いをさせないで済むと思うのだが、「年寄りくさい」とかなんとか言って、頑として使わない。
肩を支えようとすると、それも拒む。
来月90歳になるのに、”年寄りくさい”ことに抵抗があるというその心がよくわからない。
その年になってみないとわからないのかもしれない。

床屋の前は横断歩道である。
青に変わってすぐに渡り始めないと間に合わない。
もうすぐ渡り切るというところで赤に変わる。
高齢者がポツポツと覚束ない足取りで渡っているのに発進する車はさすがにいないが、ドライバーが車中で舌打ちしているのではないかと思うと、気が気ではない。
右目で父の歩みを捉えつつ、左目で母の位置を確認しながら合わせて歩く。
気持ちがせいているので、彼らの動きがことさらもどかしく感じられる。
小さい駅前のこの短い横断歩道が、これほど長く感じられる時間はない。

カットを終えると、駅前のカフェで一服するのが定番のコースとなっている。
家にいると煮詰まってしまい、つまらないことでゴタゴタが起きる。
例えば父のもの忘れを母がなじって声を荒らげ、部屋の空気が殺伐とするというような……。
もの忘れをしている人が、もの忘れをしている人をなじるというのは、滑稽を通り越して苛立ちさえ覚える。
そして言わずもがなのひとことをつい口走ってしまい、こちらも後味の悪い思いをする。
しかし、外では誰しもお行儀や愛想も良くなる。
気持ちの上でも余裕ができる。
おいしいものを食べてひと息つける。
離れて住んでいると彼らの安否について不安になることもあるが、ゆったりと座っている姿を目の当たりにできていると、その間だけでもとりあえず安心である。

翌土曜日は「介護者のつどい」だった。
お世話になっている地域包括支援センター主催である。
帰り際に、担当のケアマネさんがちょうど訪問を終えてもどってきたところに出くわした。
少し立ち話をする。
敢えて約束をしたわけでもなく、ただ出くわしたというだけで、少し立ち話ができる顔見知りの関係というのは、当たり前のようでいて、実は得難い。
坂の多い町である。
電動自転車をしこしここいで、1か所訪問するのにもひと苦労のようだ。
彼女は今年いっぱいで退職される。
両親が要支援・要介護の認定を受けてから丸2年、そうしょっちゅう連絡しあうというのではなかったが、何かあった時には相談できる存在は大きかった。
もちろん後任に引き継いでくれるらしいが、関係性の作り直しは緊張する。
それこそわたしにとっての「杖」を失ってしまうようで心もとない。
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健康診断

2024年10月16日 | エッセイ
年に1度の健康診断がやってきた。
職場が契約した団体主催のために、会場は家から1時間以上かかる。
朝8時、早めに家を出る。
途中のターミナル駅、西と東を結ぶ連絡通路は、右から左、左から右へと人が行き交う。
朝の通勤時間帯だ。皆さん、やけに猛スピードで、前から斜めからこちらに向かって突進してくるように感じられる。
以前だったら無意識のうちに微妙にからだをずらして、それなりに流れに乗っていけていたのだろうが、最近では、そうした調整ができにくくなっている。
我が道を行くとばかりにまっすぐ歩を進めるために、先方がよけることになる。「チェッ」と舌打ちが聞こえそうだ。

いつものことながら、会場には早めに着いた。
おそろいの、くたびれきった洗いざらしの検査着に着替えて、待合室に腰かける。
ズボンのゴムがゆるゆるで、ずりおちるのではないかと気になる。
ここからは、お名前ではなく、ロッカーの番号で呼ばれる。
「80番のかた」が本日のわたしの呼び名だ。
体重身長、血圧測定から始まって、採血、視力・聴力検査、心電図のあとは、エコー、胸のレントゲンへと進み、胃のレントゲン、医師の診察で終了となる。
白衣を着たスタッフが通路をせわしなく動き回り、わたしたちのカルテをあっちの検査室に差し込み、こっちの検査室から取り出し、名前を(番号)を呼ぶ。
順番に何かしら規則があるらしく、カルテをケースの前にやったり後ろにやったりする。
すべてが効率的に行われている模様だ。
こちらはそのスムーズな流れ作業をじゃましないように、呼ばれたらすぐさま返事をして立ち上がり、部屋に向かう足も、つい駆け足となる。

最後の検査は胃のレントゲンだ。
発砲剤を飲み下す時に、つい顔をしかめてしまう。
バリュウムにいたっては、一気飲みがしんどい。
例年、指示された方向がわからなくなったり、回転するのにオタオタすることはあるものの、さほど苦も無くこなしていたが、今回ばかりは、検査台がいやに固く感じられて、回るたびに、腰骨に響く。
ごつごつと骨を打たれているようで痛い。
さらに「胃の膨らみ」が十分でないと言われ、発砲剤を追加されて、さらに検査時間が延びる。
ごつごつごつ……。
限界! と思ったところで、アームが下からニュウッと伸びて、おなかを軽く押されて「お疲れさまでした」となった。

診察では、何もないだろう、と思ってはいてもはっきりと、「特に所見はない」と言われるとホッとする。
ようやく終了。
もう12時だ。
終われば飲食も解禁となる。
最寄りの地下鉄駅構内のパン屋さんにはいる。
お昼時でもあり、席はそこそこ埋まっている。
ほぼおひとりさまだ。
それぞれがパンを選んでコーヒーをテーブルにのせてスマホなどいじっている。
場所柄、ゆっくりとしている時間はなさそうだが、それでもそのなんてことのないいっときがありがたく感じられる。
健康診断は”健康”でないと、こなせない。
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大事なものそれは

2024年10月12日 | エッセイ
来年度の働き方について面接があった。
週3日の非常勤勤務が始まったのがつい最近のように思われるのに、もう折り返しにはいったのだ。
昨年度の面接がつい最近のように感じられる。
わたしたちは、定年が延長される最初の年代だった。
同じ職場で延長を選んだ人はひとり。いったん退職して非常勤の再任用になったのはわたしひとり。
部署こそ違うが、現役時代と同じ職場だったために、馴染んだ環境、見慣れた景色に囲まれて、特段、喪失感もなく、退職したことを強く実感することなく過ぎた半年だった。
60歳をゴールと決め、「あと1年なんて絶対、無理、無理」と思っていたのに、成り行きと勢いに押されて、週3日勤務で継続となり、職責が格段に軽くなったために、なんとか過ごすことができた。

さて、来年はどうするか。
体力気力はすでに枯渇している。
実家と自分の家を往復し、物理的なせわしさだけでなく、母親の不安感に振り回されたり、こちらから念押しの電話をしたりと、なんだか落ち着かない日々ではあった。
短い時間にいかにたくさんの用事をこなせるかという挑戦をしてしまう性分に火もついた。
お蔭で事務的なことは大いに進んだが、心に余裕がないために、つい、話し方が矢継ぎ早となり、追い立てるような、せかすような調子になり、相手、ことに高齢の両親を混乱させてしまったかもしれない。
その途中で落っことしてきた大事なものがあるような気もする。

先日の木曜日、ケアマネさんが実家に訪れた。
デイサービスを利用する、しないでごたごたしたこともあり、様子見に来てくれたのである。
結果、「父には今までどおりの訪問リハを続けてもらい、母には、訪問看護の日数と時間を減らしてもらう」ということで話がまとまり、懸案のリハ専門のデイサービスは利用しないことになった。
母には、看護師さんが提案するぬり絵が、「幼稚っぽくて」御不満のようだ。
デイサービスに通っておしゃべりをすることにせよ、ぬり絵にせよ、認知機能を落とさないためというふれこみだが、本人が楽しめないのなら意味はないのかもしれない。
わたしたちは集団的でお仕着せの教育を何十年も受けてきた。
そして年を重ね、やっとそうしたものから解放されたというのに、再び、教育的に考え出されたプログラムを受けるべく集団に放り込まれるというのは、理不尽にも感じられる。

面接を終えて、ケアマネさんを送って外に出ると彼女曰く、「娘さん、実はわたし今年いっぱいで退職することになりまして」
わたしは、思いがけない話に思わず「え~ッ」と声をあげる。
両親が要支援要介護を受けてから2年弱、気さくで話しやすい彼女に馴染んでいたのに……。
「わたしも実は両親の介護をしていてね。訪問介護やヘルパーさんを使って、そしてこうした仕事をやっていけていたんだけど、段々わたしの体調が悪くなってしまったので‥‥」と彼女。
そういえば最近電話をしても不在のことが多かったのは、そういうことだったらしい。
「仕事も介護、プライベートも介護でしょ。あれ?今どっちの介護の話してたんだっけ、って混乱したりしてね」と笑いながら話す。
「さみしいです。きっと復帰してくださいね」とわたし。
先方は仕事でも、こちらにとってはプライベート。
こういう関係性の終焉は何度繰り返しても慣れない。
しかし慣れないなりに、彼女もまた1人の女性として娘として、これから介護をがんばっていくのだな、と思うことが、今後わたしの支えになればいいなと思う。
両親の支えになることが彼女の支えにもなり、それがわたしの支えとなるというような……。
ケアマネとしての彼女と接する機会はなくなるかもしれないが、同士としての彼女は健在だ。
スマホの着信が鳴るとドキッとしますよね、と明るく話してお別れした。
新しいケアマネさんへの引継ぎは後日となるらしい。

大事なもの―—。
人それぞれだが、現在の彼女にとっては、御自分の健康とご両親の介護であり、それをとりこぼさないための今回の選択だったのだろうな、と思う。
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一泊二日でわかったこと

2024年10月06日 | エッセイ
リハビリに特化したデイサービスを見学した。
3時間の半日コースである。
1日のデイサービスでは待ち時間が多く、両親曰く、「座ってばかりでお尻が痛くなった」そうだ。
彼らふたりが利用するのを前提に、2枠空いているところをケアマネさんにみつくろってもらい、見学のはこびとなった。
サービスの利用についてあくせくするたびに、いったい誰のためのなんのための利用かわからなくなることがある。
衰弱に向かう命の、自然の流れに抵抗しようとしているだけのような気がする。
現在の訪問リハと訪問看護で落ち着いているところにわざわざ石を投げてかき混ぜようとしているような不安がある。
そうした気持ちを抱きながらの見学であった。

サービスの事業所は、駅近く、比較的交通量の多い場所にある。
利用者さんのお迎えを終えた車がわたしたち3人を迎えにきてくれた。
案内されたのは、こぢんまりとした建物で、前の敷地に送迎車が数台、所狭しと並んでいる。
中にはいると、左側の長テーブルを挟んで利用者さんがお茶を飲み飲みくつろいでいる。
休憩時間のようだ。
ずいぶん前に見学したリハビリ特化のデイサービと同じようなマシンが数台、窓際に並んでいる。
整体用のベッドもいくつか置かれている。
管理者のかたがプログラムについて説明をしてくれる。
そして岩盤浴の体験。
箱の中に敷き詰められた石に足を突っ込むとじんわりと温かい。
冬などは良さそうだ。
説明を受けながらふたりとも大いに乗り気のようだったので、1時間ほど見学を終えて帰宅したあと、さっそくケアマネさんに電話をする。
気が変わらないうちに、という思いがあったかもしれない。
両親ふたりに念も押した。
ケアマネさんはあいにく不在。最近タイミングが合わないことが多い。
契約したい旨を伝言して電話を切った。
父と母、2人の利用——、その時はそのはずだった。

夕食後、どういう弾みか忘れたが母が、「今日のデイサービスは本当に必要なのかしら」と口火を切った。
すると父も、「今日のところはあれでいい。ただ器械の台数が4台で少ないようだ。もうひとつぐらい事業所を見てからそしてそのどちらかに決めたい」と言い出した。
慌てた。
振り出しに戻った気がした。
ふたりにとって適切な場所をケアマネさんが選んで日程調整してくれたというのに……なぜこんなに早く意見が変わる? 昼間には、ふたりで利用しようねと念を押し、そうした雰囲気になっていたのに。
確かにこうしたサービスは利用者主体だ。
気持だって変わるかもしれない。
が、今回ばかりではなく、二転三転する言動が度重なると、それにいちいち振り回されることに苛立ちを感じてしまう。
「そうね、そうね」と口先だけが先んじて前向きなのを、つい間に受けてしまうのは初めてではない。
迷惑をかけることになるケアマネさんに、その都度お詫びをするのも気が重い。
選択肢があり過ぎるのだろうか。
彼らの必要を飛び越えて性急に話を進めようとしたわたしの責任なのか。

その夜は10時半頃まで、ああでもない、こうでもないと話した。
いくら話してもらちがあかない。
利用したいのか、したくないのか、父の本心もわからない。
とりあえず、明日の朝、父が見学のお礼を兼ねてケアマネさんに電話をすることになった。
本人からケアマネさんに、直接言ってほしかった。
わたしの口から、この後戻り的な発言を伝える勇気はなかった。
その夜は、明け方2時ごろに目が覚めて後は眠れなかった。
実家にくるとなにかしらごたごたが起きて寝不足となることが多い。

翌朝、家の消防設備点検の立ち合いのために、早々に実家を出る準備をしていると母が起きてきた。
曰く、「どうかねえ、お父さんの利用は。認知症だし、粗相したりしないかしら」と心配が募っているようだ。
介護度2の利用者や認知症のかたも利用しているという資料を見せてみる。
まあとりあえずやってみたらいいんじゃないの、とわたし。それで無理そうならやめてもいいんだし、と。
「そうやねえ、とりあえずやってみようか。話したら気持ちが軽くなった」と母。
母は自分の不安感を軽くするために、わたしの背中に不安感を乗せる。
そして驚いた。
彼女曰く、「わたしは最初っから利用するつもりなんかないのよ」
なんでも、母はあくまでも父の付き添いとして行こうかと思っており、見学してみたら付き添いの必要はなさそうなので、行かないことにしたのだそうだ。
「お父さんが行っている間、のんびりしたい」のだとも。
お父さんが不在の間のんびりしたい、という気持ちはわかるが、最初っからそうした意図だったことは、この度初めて知った。
それではなんのためにふたり分の枠が空いている曜日を調べてもらったのか。
混乱した。
本当に最初から利用するつもりはなかったのか。
こちらの説明のしかたに不足があったのか。
当然こちらの認識と同じ理解であるという思い込みが、説明不足を招き、母は母で、自分の意図を当然のものとして説明しないものだから、お互いにずっと違う認識でいたということか。

そこへ父が起きてきた。
昨日の器械の台数云々の話は省いて曰く、「昨日行った場所、あそこに決めた。火曜日の利用だから、今来てもらっている訪問リハ2日間のうち月曜日のほうは、とりあえずお休みしようと思う。それを今日、ケアマネさんに電話しようと思う」ときっぱり。
父の方が理路整然と話が通じている。
昨夜の話をしっかり覚えていて、筋もつながっている。
何度も同じことを繰り返して言う。
本人なりに大事な話題であることをしっかり認識しているから繰り返すのだと、ものの本に書いてあった。
むしろ、「もう何度同じことばかり繰り返すの! 全くイライラするわ」という母のほうにわたしは大いに苛立ちを感じる。
何度も繰り返して、確認しておこう、覚えておこうと努めることもなく、するすると聞き流して結果、けろりと忘れている母よりもよほどまともだ。
とはいえ、立ち合いの時間が迫ってきたので、すたこらさっさと実家を出る。
正直、逃げた!
駅の構内で、メロンパンとアイスコーヒーにありついたときは、15分ほどだったが、ひと息ついた。
普通に話が通じる人と話したい、とそう思った。

9時半過ぎ、ケアマネさんから電話が来る。
「娘さん、さっきお父様から電話がありました。昨日のところ、気に入られたようで」
わたしが「はい。母のほうは、父の付き添いの位置づけのように思っていたらしくて、行かないそうです」。
するとケアマネさんも母と話したらしく、「わたしは行くつもりはありません、っておっしゃってました。あくまで付き添いという認識だったんですねえ」と、ため息まじりだ。
こちらにとって常識的な話の流れと理解が、高齢者にとっては、必ずしもあたりまえではないのかもしれない。
しかしこのトンチンカンにも思える展開に共感してもらえる人を得てホットする。
おかしいでしょ、これ。というとまどいを理解してもらえる相手がいてくれてよかった。
わたしたけが矢面になって彼女と話していたら、なんていい加減なキーパーソンなんだと思われたかもしれない。
契約者は両親なのだから、できるだけ両親とも直接話してもらいたい、彼らにも責任を分かち合ってほしい、と逃げの姿勢になる。

父ひとり分の利用契約を結ぶのは、次の木曜日となった。
ケアマネさんから実家にも直接電話をしてくれたらしい。
それなのに、ほかの情報とごちゃ混ぜになって母から父へ伝わったらしく、「今日が契約日のはずなのに、一向に誰も来ない」と夕方、父から電話があった。
ずっと待っていたのに、と少々不機嫌だ。

いっぺんに用事を済ませようと、わたしが電話口で次から次へと情報を詰め込んで話したために、そういうことが起きたのかもしれない。
伝えることはひとつの電話でひとつずつ。それがキホン。
彼らの情報処理能力の限界について思い知った。
他者の立場への配慮、想像力、現在置かれた状況の理解、話の展開からの逸脱など、ひと口に「自分勝手」「もの忘れ」とレッテルを貼ることのできない事情が彼らに発生していたのだ。
こちらが振り回されていると思っていたが、彼らは彼らで、わたしのペースに振り回されていたのかもしれない。

電話口で、矢継ぎ早の説明が誤解を招いたことを謝った。
母も、「ごめんなさいねえ。ボケ老人ばかりで」と申し訳なさそうに言って、かろうじて和やかに通話を終えた。
もしも一方的に相手の勘違いを責めたら相手は頑なにいじけて、険悪な雰囲気のまま後味悪く電話を切ることになっただろう。
それを償うためにまた言い訳の電話をかけ直し、どうしてこちらばかりが……などとかえってモヤモヤとしたかもしれない。

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