部屋の蛍光灯が切れた。
本来なら自分で取りかえなくてはいけないのだが、なにぶん背が低く届かない。
大家さんに作業をお願いしている。
仕事の隙間をぬって依頼の電話をかけようとしていたら、ケアマネさんから電話がはいった。
先日両親がデイケア見学をしたその様子伺いである。
「待ち時間も多くてずーっと座りっぱなしだったのでお尻が痛くなったらしいです」とわたし。
「そうでしょう、あそこは1日いるだけでご両親様、疲れちゃうかもしれません」と彼女。
「半日ぐらいのほうがいいと本人たちは言っているんですが、栄養も足りてないので食事つきのデイがいいかと……」とわたし。
先日の介護者のつどいで、「半日デイサービス食事つき」の情報を仕入れてきたばかりだ。
食事つき、とか、半日コースとか言っているうちに、なんだか旅行かなんかの打ち合わせをしているような気分になってくる。
すると彼女、「娘さん、あそこは管理栄養士さんがいて、食事のバランスはとれているんですけど、ということは、好き嫌いの多いお父様にはどうかと思うんですよ」。
偏食の父につきあって、母まで栄養が偏るのではないかと、そうしたサービスを望んだが、言われてみればそうだ。
もったいないという言いかたは露骨だが、せっかくの食事をほとんど食べられないというのでは意味がないかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」と電話口で絶句するわたし。
ちなみに、勤務時間中だ。
思いのほか電話が長引いている。
そのことも頭の片隅にある。
とまどいを察知したケアマネさんが「それでは娘さん、〇〇さんほどではないにせよ、緩やかなリハを取り入れた半日のサービスというのもありますから、そこを1度体験してみますか」と提案してくれる。
ケアマネさんとのやりとりでは、わたしは「娘さん」と名無しのゴンベイとなる。
〇〇さんというのは、ずいぶん前に体験したリハ特化型のサービスだ。
あの時は父が張り切り過ぎて体調をくずしたために利用は立ち消えになったのだ。
電話でのやりとりでは、ゆっくりと熟考している暇もない。
「それではお願いします」と調整をお願いして電話を切った。
離席時間が長くなったので、さりげない風を装って、こそこそと席に戻る。
また電話が来るとなると、落ち着かない。
1時間ほど経つと、再び電話が鳴った。
先ほどのデイサービスのふたり分の枠が空いていることと、今週の金曜日に体験できるという話なのでひとまずお願いした。
利用者本人のあずかり知らないところで話がどんどん進む。
両親の欲するところはなんなのか。
欲するところと必要なことが同じとは限らない。
なんにもしたくないというのが両親の本音かもしれないが、1日中テレビの前にじいっと座り時間が過ぎ去っていくのでは、心身ともに衰弱していくばかりなのではないか。
しかし彼らの希望を飛び越えて、わたしがあれこれ決めてしまうのは、結局は自分が安心したいだけなのではないかという疚しさもある。
夕方、紹介してもらったデイサービスから電話が入る。
金曜日の朝、9時半にお迎えに来るという正式な連絡だ。
付き添いのわたしも一緒に車に乗せてもらえるのだそうだ。
とりあえずこっちの話が決まると、今度は大家さんに蛍光灯の件で電話をした。
慌しい雰囲気をひきずったまま電話をしたのでせっぱつまって聞こえたのだろうか。
今週の木曜日に来てくれることになった。
ありがたいが、なんだか、綱渡り。
やっと週末4日間の休みがやってきたと思うと、何かしら予定がはいってくる。
切れていない蛍光灯もこの際、全取り換えしよう。
せめて部屋の中だけでも明るくしておきたい心境だ。
本来なら自分で取りかえなくてはいけないのだが、なにぶん背が低く届かない。
大家さんに作業をお願いしている。
仕事の隙間をぬって依頼の電話をかけようとしていたら、ケアマネさんから電話がはいった。
先日両親がデイケア見学をしたその様子伺いである。
「待ち時間も多くてずーっと座りっぱなしだったのでお尻が痛くなったらしいです」とわたし。
「そうでしょう、あそこは1日いるだけでご両親様、疲れちゃうかもしれません」と彼女。
「半日ぐらいのほうがいいと本人たちは言っているんですが、栄養も足りてないので食事つきのデイがいいかと……」とわたし。
先日の介護者のつどいで、「半日デイサービス食事つき」の情報を仕入れてきたばかりだ。
食事つき、とか、半日コースとか言っているうちに、なんだか旅行かなんかの打ち合わせをしているような気分になってくる。
すると彼女、「娘さん、あそこは管理栄養士さんがいて、食事のバランスはとれているんですけど、ということは、好き嫌いの多いお父様にはどうかと思うんですよ」。
偏食の父につきあって、母まで栄養が偏るのではないかと、そうしたサービスを望んだが、言われてみればそうだ。
もったいないという言いかたは露骨だが、せっかくの食事をほとんど食べられないというのでは意味がないかもしれない。
「どうしたらいいんだろう」と電話口で絶句するわたし。
ちなみに、勤務時間中だ。
思いのほか電話が長引いている。
そのことも頭の片隅にある。
とまどいを察知したケアマネさんが「それでは娘さん、〇〇さんほどではないにせよ、緩やかなリハを取り入れた半日のサービスというのもありますから、そこを1度体験してみますか」と提案してくれる。
ケアマネさんとのやりとりでは、わたしは「娘さん」と名無しのゴンベイとなる。
〇〇さんというのは、ずいぶん前に体験したリハ特化型のサービスだ。
あの時は父が張り切り過ぎて体調をくずしたために利用は立ち消えになったのだ。
電話でのやりとりでは、ゆっくりと熟考している暇もない。
「それではお願いします」と調整をお願いして電話を切った。
離席時間が長くなったので、さりげない風を装って、こそこそと席に戻る。
また電話が来るとなると、落ち着かない。
1時間ほど経つと、再び電話が鳴った。
先ほどのデイサービスのふたり分の枠が空いていることと、今週の金曜日に体験できるという話なのでひとまずお願いした。
利用者本人のあずかり知らないところで話がどんどん進む。
両親の欲するところはなんなのか。
欲するところと必要なことが同じとは限らない。
なんにもしたくないというのが両親の本音かもしれないが、1日中テレビの前にじいっと座り時間が過ぎ去っていくのでは、心身ともに衰弱していくばかりなのではないか。
しかし彼らの希望を飛び越えて、わたしがあれこれ決めてしまうのは、結局は自分が安心したいだけなのではないかという疚しさもある。
夕方、紹介してもらったデイサービスから電話が入る。
金曜日の朝、9時半にお迎えに来るという正式な連絡だ。
付き添いのわたしも一緒に車に乗せてもらえるのだそうだ。
とりあえずこっちの話が決まると、今度は大家さんに蛍光灯の件で電話をした。
慌しい雰囲気をひきずったまま電話をしたのでせっぱつまって聞こえたのだろうか。
今週の木曜日に来てくれることになった。
ありがたいが、なんだか、綱渡り。
やっと週末4日間の休みがやってきたと思うと、何かしら予定がはいってくる。
切れていない蛍光灯もこの際、全取り換えしよう。
せめて部屋の中だけでも明るくしておきたい心境だ。