TOMATOの手帖

日々の生活の中で出会う滑稽なこと、葛藤、違和感、喪失感……などをとりとめもなく綴っていけたらと思っています。

救急車は行く

2021年04月07日 | インポート
背後から救急車のサイレンが近づいてくる。
近くに病院があるのでそこに向かうのだろう。
このサイレンの音、自治体ごとに違うのか、それとも状況によって使いわけているのか、1オクターブ低いものに出くわすことがあって、それは実にもの悲しい響きを帯びている。

どういうわけか、わたしは救急車が赤信号を免除されて、そのまま交差点や横断歩道を突っ切っていくのを見るのが好きである。通り過ぎてしまうまで、わざわざ歩をとめて見送っていることもある。
それだけに、サイレンの音が聞こえてくると、赤になれ、赤になれ、と念じ、結果間に合わず(?)、青のまま、難なく通り過ぎてしまうと、妙にがっかりとしたりするのだ。
なにがそんなに魅力的(といったら不謹慎だが)なのか。
一刻を争う命を運んで先を急ぐ救急車と、そのことを承知で、脇にすっと車体をよせて道をゆずる一般の車、横断歩道を渡るのをしばし待って救急車を見送る歩行者。
全く知らないものどうしが、この瞬間だけは誰も何にも言わないのに、協力体制になった、というような一体感といったらいいのかしら。
時には、救急車が徐行しながら、スピーカーごしにお礼なんかを言って横切ったりすると、さらに満足感が高まる。
なんだか世の中のためになるような、立派なことに参加したような……。

たまに、救急車が停車して、具合の悪くなったかたが運ばれてくるのを待っている場面に出くわすことがある。野次馬根性でしばし足をとめ、ようやく出てきた当時者が、ご自分の足ですたすたと歩いて車両に乗り込むのを見ると、(不謹慎ついでに言うなら)、ちょっとがっかりした気分になる。
緊急車両の行くところ、ものごとは大げさであってほしいというような願望があるのかしら。

そういえば、わたしが子供の頃、救急車のサイレンは、ピーポーではなく、消防車と同じ、ウーウーでした。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする