コロナの感染者の全数把握をやめてから、早くも10日ほどたった。
最初の頃は、不要な発生届が送られてきたりして混乱もあったが、そもそも感染者そのものが減少してきていたせいか、事務所の中は、ずいぶんと静かに穏やかな雰囲気になった。
派遣の職員方も、時間に余裕ができたようで、暇を持て余している。
陽性者全員のお名前を入力する作業に目をしょぼしょぼさせていたわたしも、その作業から逃れることができて、おおいに助かっている。
しかし、今は感染者が少ないから暢気にしていられるのであって、これが年末年始を迎え、8波などがおきたら、かえって全体像がつかめずに右往左往するのではないかという心配はある。
ひとりひとりの公表はしなくても、お亡くなりになったかたや、クラスターの公表はすることになっているので、ある日突然、こちらがその兆しさえつかめていないところに、第一報が飛び込んでくる、ということになるだろう。
インフルエンザとの同時流行などといったうわさも流れている。(昨年も流れたっけ)。
どのように制度をかえようとも、コロナが巷に生存しているという限り、いつまでも安心できないような、延々と拘束され続けているような感覚から逃れることができない。
電車の中で、ノーマスクのかたが隣に座ると、(これみよがしに)席を移ってしまう自分は相変わらず。
ここ2,3日の寒さのためか、咳が出る。こんな兆しひとつとっても、もしかして……と心細く思う習慣から抜け出せないのである。
最初の頃は、不要な発生届が送られてきたりして混乱もあったが、そもそも感染者そのものが減少してきていたせいか、事務所の中は、ずいぶんと静かに穏やかな雰囲気になった。
派遣の職員方も、時間に余裕ができたようで、暇を持て余している。
陽性者全員のお名前を入力する作業に目をしょぼしょぼさせていたわたしも、その作業から逃れることができて、おおいに助かっている。
しかし、今は感染者が少ないから暢気にしていられるのであって、これが年末年始を迎え、8波などがおきたら、かえって全体像がつかめずに右往左往するのではないかという心配はある。
ひとりひとりの公表はしなくても、お亡くなりになったかたや、クラスターの公表はすることになっているので、ある日突然、こちらがその兆しさえつかめていないところに、第一報が飛び込んでくる、ということになるだろう。
インフルエンザとの同時流行などといったうわさも流れている。(昨年も流れたっけ)。
どのように制度をかえようとも、コロナが巷に生存しているという限り、いつまでも安心できないような、延々と拘束され続けているような感覚から逃れることができない。
電車の中で、ノーマスクのかたが隣に座ると、(これみよがしに)席を移ってしまう自分は相変わらず。
ここ2,3日の寒さのためか、咳が出る。こんな兆しひとつとっても、もしかして……と心細く思う習慣から抜け出せないのである。