日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

新卒一括採用の是非

2015年04月22日 09時12分10秒 | 日々雑感
 4月16日付け朝日新聞オピニオンのテーマは新卒一括採用がテーマであった。脳科学者の茂木健一郎氏と人材コンサルタントの常見陽平氏の意見が述べられていたが、イノベーションに対する両者の意見が全く異なっており、面白かった。まず両者の意見の概要を記す。
 茂木氏は、経済を成長させるエンジンはイノベーションであり、イノベーションの本質は不確実性である為多様な人材を必要とするが、新卒一括採用は多様性を排除するとの主張である。これに対し、人材コンサルタント、常見陽平氏は、日本経済の競争力を高めているのはイノベーションでは無く、地道な品質の向上を高めることの出来る普通の人であり、このためには一括採用は合理性があるとの主張である。
 茂木氏の主張では、イノベーションは多様性のある人材が生み出すとし、多様性の欠如を一括採用と結び付けているが、日本人の多様性の無さの原因は別のところにあり、一括採用を止めたところで多様性が生まれるわけでもないだろう。しかし、企業が偏差値でなく、多様性を重視するとなると学生も変わって来るであろうが、そう簡単なことでは無い。常見氏も多様性を不必要とは言っていないが、人材はメーカが育てるとし、大学教育をあてにしていない様である。この指摘に対して、茂木氏はどう答えるであろうか。
 日本人の多様性の無さは一括採用の為ではなく、昔からの日本文化の根幹である。“和をもって尊しとなす” の聖徳太子の時代より今日まで “出る杭は打たれる” の横並びをよしとする社会である。人と違うことをやるには勇気がいる。
 一括採用は同質の人材を集めるには便利なシステムである。イノベーションは多様な人材の中から生まれる可能性が高いが、多様性があるからと言ってイノベーションを生み出せるわけで無い。イノベーションを生み出せそうな人間を選択しなくてはならないが、この選択眼のある人間がそもそもいないことが問題である。
 小保方晴子氏のSTAP細胞騒ぎは納まったが、小保方氏を採用した人間は、彼女をイノベーションを生み出しそうな人材と判断し、採用した筈だ。見事に裏切られたが、このようなリスクは常に付きまとう。採用する企業や人間がどこまで耐えられるかだ。
 これからの日本社会は多様性のある、自ら判断できる人材をより多く必要とすることは間違いないだろう。このため企業は、一括採用ばかりでなく、自由な発想が出来る人材の随時採用を重視するようになるだろう。しかし、国家公務員の一括採用は絶対無くならないだろう。国家公務員には自由な発想は必要ないからである。官僚機構には戦後70年の歴史があり、前例踏襲が重要であり、独自の発想は村八分である。
 政府は原発を維持しようとしているが、その背後には官僚が控えていることを忘れてはならない。ベースロード電源との何だか分からない概念を持ち出し、その必要性を訴えているが、原発を何とか維持しようと努力するのは前例踏襲の最たるものであろう。(犬賀 大好-122)