日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

核兵器規制と銃規制を考える

2016年07月16日 09時19分28秒 | 日々雑感
 オバマ大統領は、7年前プラハで核廃絶を訴え、ノーベル平和賞を受けた。今年5月、G7後の広島訪問で、”米国のような核兵器保有国は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器無き世界を追及する勇気を持たなくてはならない”、と格調高く演説したが、米国にとって銃無き社会の実現の方が身近な問題ではなかろうか。

 今月5日、6日 ルイジアナ州、ミネソタ州で黒人男性が警察官に射殺される事件が相次いて起こった。これに対する抗議デモが全米に広がり、ダラス市中央部でも数百人が参加するデモがあった。この種の事件やデモは米国では珍しくないが、今月8日の事件はISによるテロを思い出させた。

 すなわち米テキサス州ダラスでデモを警備していた警察官が12人撃たれ5人が死亡した事件である。今回の事件は黒人の単独犯であり、米陸軍予備兵でアフガニスタン派遣経験もある人物だったらしい。犯行理由は「最近の警官による射殺には我慢ならない。白人、特に白人の警官を殺してやりたかった」と、人種差別のひどさを訴えている。

 テロとは暴力による恐怖を政治的な目的のために利用することであろう。人種差別は政治的な問題でもあり、今回の事件で政治的な要求がなされたかは不明であるが、テロの一種と呼んでもよいだろう。米国のために軍で訓練を受けた人間が米国社会で同胞の殺しを行うとは、事件の根深さを暗示している。

 オバマ大統領は、このような事件が発生するごとに議会に対して銃規制の強化を訴えてきた。大統領は議会審議が進まないことに業を煮やし、大統領の権限が及ぶ範囲で銃規制を強化することを決断した。大統領令では、銃器を購入する際の身元調査を強化することを柱として、銃器の安全技術の向上等が盛り込まれた。

 しかし、全米ライフル協会(NRA: National Rifle Association of America)の政治圧力だけでなく、国民も大統領の銃規制案を必ずしも支持しない状況からすれば、銃器による死亡者数を減少させるための効果は少ないと推測される。

 他人が持つ銃への疑心と恐怖は、人々を更なる銃信奉へと駆り立てる。実際、事件がある度に銃の保有者は増加するとのことだ。これは国家間の軍拡競争と全く同じ構造だ。

 核兵器禁止条約(NWC)は、核兵器の全廃と根絶を目的として起草され、2007年コスタリカ・マレーシア両政府の共同提案として正式に国連に提出されたが、未だ発効されていない。また、昨年4月に行われた拡散防止条約(NPT)再検討会議も、実りの無いまま終了している。核廃絶の流れに強く反対しているのが、米英仏ロ中の核保有五大国だ。核保有国と非保有国の対立が目立っているが、根にあるのは各保有国における他国が持つ核兵器の疑心と恐怖であろう。

 このような遅々とした動きにオバマ大統領は、大統領令で ”核先制不使用” の宣言を含めた核軍縮策を検討していると、米紙が今月12日報じた。しかし、抑止力維持の立場から共和党などが反発するのは必至と見られている。

 銃規制にしても、核軍縮にしても、それを妨げる根本原因が他人に対する疑心と恐怖とすれば、その疑心暗鬼を解消するように、努力する必要がある。核軍縮は世界中の人々が対象であるが、銃問題は国内問題であり、米国民内における疑心暗鬼を解消すればよい。この意味では、核問題より銃問題の方がはるかに簡単な筈だ。オバマ大統領は、国内の銃問題を解決しない限り、世界の核廃絶は到底無理だと、言えるかも知れない。
2016.07.16(犬賀 大好-251)