日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

韓国の”恨”の思考様式を日本人は理解できない

2017年04月29日 09時15分08秒 | 日々雑感
 韓国は隣国であって、日本に仏教、儒教など数多くの文化を伝え、同じ農耕民族であり、考えるところは日本人と同じと思いたいが、慰安婦像設置への執着、大統領経験者の度重なる逮捕、美容整形に対する無抵抗さ、等理解しがたい面がいくつかある。
 
 ”恨(ハン)” とは朝鮮文化における思考様式の一つで、文化、思想において全ての根幹となっているそうだ。朝鮮文化における恨を 責任を他人のせいに出来ない状況のもとで、階層的に下位に置かれた者の上位に対する不満の累積とその解消願望” と説明する歴史学者もいる。恨みは人間であれば多かれ少なかれ誰もが抱く感情であり、これだけの説明からではよく理解出来ない。

 恨の根底には、国内外の圧倒的な力に服従せざるを得なかった朝鮮半島独特の歴史があるようだ。すなわち、・漢代の昔より幾度となく半島に侵入した異民族の支配、・李朝時代の王権や両班による階級的支配、・日本による併合と長い抑圧、に対する民衆の恨み意識が根にあるそうだ。

 韓国の大衆は歴史上必ず誰かに支配、抑圧されており、それが当然の社会となっていたのだ。そこで、支配階級そのものを無くしたいと願うのではなく、なぜその支配階級に自分が属さないないのかと考え、少しでもその階級に近づこうとする考えになっていったのだそうだ。

 日本はアジア大陸の端っこにある島であり、自然災害は多いが、歴史上異民族に支配されたことは無い。自然災害は相手が自然だと分かれば諦めるしかなく、また諦めもつく。韓国の恨の相手は人間である。相手が自然か人間かの違いが大きく、この点で、韓国人の心情を理解することは難しいかも知れない。

 現在、韓国は次期大統領を巡って主として二人の候補者が争っているが、どちらかが大統領になり、個人的に特権を乱用しないように心がけても、取り巻き連中が大統領名で特権を悪用するに違いない。朴槿恵氏も個人的には兄弟と距離をとったらしいが、信頼する友人に足を掬われた。恨の思考が浸透する韓国社会では、形を変えて同じ事が繰り返されるのではないかと懸念する。

 更に、恨の形成の背景には、儒教の教えや習慣が、本来の形を越えた形でエスカレートさせていったと言われ、それは上位者の下位者に対する理不尽な扱いを正当化する解釈や、下位の者は過酷な立場に甘んじなければならないとする解釈になったそうだ。

 儒教は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系であるが、李朝の絶対王政の下、本来の儒教のあり方から変質し、民衆を支配する側が彼らの良いように改竄していったようだ。韓国の歴史ドラマの中でも、儒教学者がしばしば登場する。非常に博学であり、民衆から尊敬されていたようではあるが、体制に対する批判は余りしなかった印象である。やはり体制に取り込まれてしまったのか。

 支配する側、支配される側からなる階級社会が儒教により正当化され、今でも色濃く韓国人の精神に多大な影響を与えているそうだ。例えば韓国人が常に人間関係や国家関係を ”上下関係” として捉える価値観は、この儒教の影響を受けていると言われる。

 韓国人の基本的価値観に、中国は父、韓国は兄、日本は弟、というものがあるそうだ。この価値観の下では、日本は韓国より下の国であり、弟の立場であるので、兄である韓国の言葉には無条件に従う義務があることになる。そこで日本は弟の分際でありながら経済的に恵まれているとはけしからんとなる。

 そうなると慰安婦像の問題は像を撤去するかしないかの問題だけではなくなり、経済的にも韓国が日本より恵まれない限り、解決は難しいことになる。日本としては、大使館前に慰安婦像が設置されたといって大騒ぎするのではなく、無視する態度に出た方が良いのかも知れない。

 慰安婦の問題や大統領経験者の逮捕問題は、”恨” の思考文化により何となく分かったような気になるが、儒教が根深い韓国における美容整形の無抵抗さについては、どうしても理解できない。2017.04.29(犬賀 大好-333)