日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

日本の大企業の不正は忖度政治と同根

2017年11月29日 09時31分39秒 | 日々雑感
 第2次世界大戦の戦争責任に関して日本国としての総括はなされておらず、今もって責任は誰にあったのかはっきりしない。天皇に責任があるとの主張から、日本人すべてに責任があったとの説まであり、非常に幅広い。

 この大戦が天皇の名においてなされたのも、戦争を熱心に支えていた国民も大勢いたのも事実であろう。確か作家堺屋太一氏も日本における独裁者は織田信長位であったと主張している。すなわち日本社会は独裁者の指示や個人の意見で動くのではなく、大衆の雰囲気で動くとの指摘もなるほどと思われる。

 大衆の雰囲気が大衆の本当の総意であれば、民主主義の理想形のように思えるが、個人個人がはっきりした意見を持った上での総意ではない。それが何となく決まる雰囲気的なものであれば、民主主義以前の問題である。

 そこにおいては、”皆がそう言うのであれば私もそれに従う” 的な話であり、”付和雷同”や”体制順応”であり、そして”赤信号皆で渡れば怖くない”であり、個人が確立していないだけだ。

 さて、日本を代表する大手企業の不正が最近問題となっているが、いずれの場合もそれを明確に指導した人物はいないようである。不正を不正と思わないような雰囲気の下に行われた、と言うのだ。そこには明確な意識や自覚を持った首謀者がいない、点こそが、日本の伝統的な特質であり、海外からは、不思議がられる。

 日本企業の不正や不祥事をめぐるこのような不思議さは各社に見られる。日産自動車と株式会社スバルにおける自動車の最終検査を資格の無い者が行なっていたことや、三菱マテリアルと子会社の3社は、検査記録データ書き換えなど不適切な行為を行っていた。

 神戸製鋼所の検査データ改ざん問題では、収益優先で閉鎖的な組織風土、品質軽視の姿勢が浮かび上がったが、今回の社内調査では不正の時期や具体的な手法は分からずじまいとのことである。不正が10年ほど前から行われていたことも認めているが、不正がいつ、だれがどのように始めたのか分からないと言う。

 一方、忖度が問題となっている森友・加計学園問題でも、大勢の人間が ”皆で渡れば怖くない”と集団無責任体制が組まれたのであろう。森友学園には安倍首相の 昭恵夫人が深く関わっていたことは周知であり、土地売買に関係するお役所が首相あるいは夫人の意向を忖度した結果であることは状況的に明白である。国税庁長官に栄転した佐川宣寿氏にしても、恐らく直接誰からも指示されていないであろう。高級官僚ともなれば回りの空気を感じ取り、自発的に行動を起こさなければ、役を果たせない。

 会計検査院の河戸院長は先日23日の衆院予算委員会で、事実関係を確認の上、国会での議論も踏まえ、多角的観点から検査を実施したい、と表明した。もっともであるが、この件に関する真犯人は結局分からずじまいになるだろう。それは、その場の雰囲気で集団的に行われたと思うからである。だからと言って、佐川氏の国会での忘れた振りは、許される話ではない。加計学園問題でも同様な状況であろう。

 個人の意見を殺して回りの雰囲気に合わせるのは、日本人の特質である、”和をもって尊しとなす” の精神と通ずるところがあり、時には美徳ともなる。

 安倍首相は、今回の総選挙で圧勝し、憲法改定を前面に出してきた。憲法は日本の国の方向を決める重要な指針である。国民一人一人が、回りの雰囲気に流されることなく、自分の意見を持つことの重要さが改めて感じられる。付和雷同、体制順応は御免蒙りたい。2017.11.29(犬賀 大好-394)