スポーツ選手に限らず、バイオリンやピアノの音楽家も、幼い頃より練習を始めたとの話もよく耳にするが、子供にとって幸せなことであろうか。
このような幼児からの早期教育はその道で一流にさせたい親心からであり、これも親の愛情表現の一つと思えなくも無いが、子供の人生を親が決める親のエゴのような気がする。特に芸能界で活躍出来るように、親の方が一生懸命になっている様子を垣間見ると親のエゴ丸出しと感ずる。
幼児期、もしくは学童期に優れた才能と素質をもった児童に対してその才能を伸ばすための特別な教育をほどこすことが、英才教育であり、才能教育であろう。スポーツ選手同士の結婚や音楽家同志の結婚の場合、子供も同じ遺伝子を有するので当然その道に通ずる筈だとの判断からであろうが、子供にとって親の敷いたレールの上をひたすら走ることは幸せなことであろうか。
子供は親に反抗する術が分からないまま、親の関心を得るべく一生懸命努力する。その結果、大成すればまだ救われるが、一流になれるのは極一部だ。挫折した場合、他の道を探さなくてはならないが、探す時間があればまだ良い。挫折する時期が遅くなればなるほど取り返しがつかなくなる。
諦めなければ望みは適う、との言もよく耳にする。確かにその一面があるだろう。登山も途中で登頂を諦める必要がある場合もあるが、その判断は簡単に出来るものでは無い。しかし決断しなければならない時は必ずやって来る。
スポーツ選手の場合、活躍できたとしても20歳~30歳位が山場であろう。人生80歳と見ても、残り50年の人生を生きる道を探さなくてはらない。
プロ野球ドラフト会議が先日行われた。プロ球団から指名された高校生は将来の夢に胸弾ませているだろう。しかし、プロの世界で通用するのは一部だ。義務教育の期間中、野球以外の色々な経験、様々な勉強をやってきたであろうか。恐らく野球一筋に励んできたであろうから、野球の道で挫折した場合の喪失感は大きいだろう。
この点、中日ドラゴンズから1位指名された大阪桐蔭学園の根尾選手には感心する。どんなに疲れていても読書を欠かさないとのことである。常に自分の考えの下、自主的にやることはどんな道を歩んでも後悔することは絶対にないだろう。
例え、一流になり、オリンピックで活躍できたとしても、引退後、想像もしなかった自己嫌悪や絶望感に襲われ精神的な不調に長く苦しんだとの話も耳にする。燃え尽きて心を病んだり、目標を無くして生き甲斐を失ったりする。世界ではメダリストやプロスポーツ選手がうつ病や不安障害を告白する事例が増えているそうだ。
英才教育の是非については、随分前から各国で検証されてきた。例えば、1970年代にドイツ政府が、“お勉強中心”の幼稚園と“遊び中心”の幼稚園の子ども達を、長期にわたって比較した調査があるそうだ。
その調査では、“お勉強中心”の幼稚園の子ども達は、最終的には“遊び中心”の幼稚園の子ども達より読書や算数で劣り、しかも、社会性や感情面でも周りとうまくやっていくことができないということが明らかになり、ドイツ政府は、幼稚園に“遊び”を多く取り入れる方針に回帰したそうだ。
早期教育は初期の段階では確かに効果があるだろう。しかし、早く知識や知恵がつく代わりに、自分は他の子よりも才能あると勘違いしてしまう欠陥もあるらしい。
また、知識吸収に時間が割かれ、人と交わる訓練ができないから、協調性や人に対する思いやりなどの社会性が育たないそうだ。
中でも一番影響が大きいと思うのは、幼児教育は先生の一方的な指導によるため、受け身の勉強癖が身に付いてしまうことである。自主性を育むためには自分で考える時間が必要であり、無駄な時間も必要だ。自主性の無い子供は、挫折した場合、それを乗り越える力が無い。2018.11.10(犬賀 大好-493)
このような幼児からの早期教育はその道で一流にさせたい親心からであり、これも親の愛情表現の一つと思えなくも無いが、子供の人生を親が決める親のエゴのような気がする。特に芸能界で活躍出来るように、親の方が一生懸命になっている様子を垣間見ると親のエゴ丸出しと感ずる。
幼児期、もしくは学童期に優れた才能と素質をもった児童に対してその才能を伸ばすための特別な教育をほどこすことが、英才教育であり、才能教育であろう。スポーツ選手同士の結婚や音楽家同志の結婚の場合、子供も同じ遺伝子を有するので当然その道に通ずる筈だとの判断からであろうが、子供にとって親の敷いたレールの上をひたすら走ることは幸せなことであろうか。
子供は親に反抗する術が分からないまま、親の関心を得るべく一生懸命努力する。その結果、大成すればまだ救われるが、一流になれるのは極一部だ。挫折した場合、他の道を探さなくてはならないが、探す時間があればまだ良い。挫折する時期が遅くなればなるほど取り返しがつかなくなる。
諦めなければ望みは適う、との言もよく耳にする。確かにその一面があるだろう。登山も途中で登頂を諦める必要がある場合もあるが、その判断は簡単に出来るものでは無い。しかし決断しなければならない時は必ずやって来る。
スポーツ選手の場合、活躍できたとしても20歳~30歳位が山場であろう。人生80歳と見ても、残り50年の人生を生きる道を探さなくてはらない。
プロ野球ドラフト会議が先日行われた。プロ球団から指名された高校生は将来の夢に胸弾ませているだろう。しかし、プロの世界で通用するのは一部だ。義務教育の期間中、野球以外の色々な経験、様々な勉強をやってきたであろうか。恐らく野球一筋に励んできたであろうから、野球の道で挫折した場合の喪失感は大きいだろう。
この点、中日ドラゴンズから1位指名された大阪桐蔭学園の根尾選手には感心する。どんなに疲れていても読書を欠かさないとのことである。常に自分の考えの下、自主的にやることはどんな道を歩んでも後悔することは絶対にないだろう。
例え、一流になり、オリンピックで活躍できたとしても、引退後、想像もしなかった自己嫌悪や絶望感に襲われ精神的な不調に長く苦しんだとの話も耳にする。燃え尽きて心を病んだり、目標を無くして生き甲斐を失ったりする。世界ではメダリストやプロスポーツ選手がうつ病や不安障害を告白する事例が増えているそうだ。
英才教育の是非については、随分前から各国で検証されてきた。例えば、1970年代にドイツ政府が、“お勉強中心”の幼稚園と“遊び中心”の幼稚園の子ども達を、長期にわたって比較した調査があるそうだ。
その調査では、“お勉強中心”の幼稚園の子ども達は、最終的には“遊び中心”の幼稚園の子ども達より読書や算数で劣り、しかも、社会性や感情面でも周りとうまくやっていくことができないということが明らかになり、ドイツ政府は、幼稚園に“遊び”を多く取り入れる方針に回帰したそうだ。
早期教育は初期の段階では確かに効果があるだろう。しかし、早く知識や知恵がつく代わりに、自分は他の子よりも才能あると勘違いしてしまう欠陥もあるらしい。
また、知識吸収に時間が割かれ、人と交わる訓練ができないから、協調性や人に対する思いやりなどの社会性が育たないそうだ。
中でも一番影響が大きいと思うのは、幼児教育は先生の一方的な指導によるため、受け身の勉強癖が身に付いてしまうことである。自主性を育むためには自分で考える時間が必要であり、無駄な時間も必要だ。自主性の無い子供は、挫折した場合、それを乗り越える力が無い。2018.11.10(犬賀 大好-493)