3月7日(木)
三月も一週間が過ぎるというのに、寒さがきつい日が続く。体の傷が結構いたい。後期高齢者ゆえか、傷の回復が遅いようだ。痛み止めは我慢していたが、3月に入り、寝る前に飲むことにした。ぐっすり眠れて、目覚めがすっきりする。もうここまで来たのだから、我慢はせずに、快適さを求めようと思ってはいたのだが、まだ、「古い意固地】に取りつかれていたようだ。
日常的には、ちょっとした農作業の手伝い程度と、退院してすぐに振られた、食当、ゴンの散歩。横になっていると楽なので、陽に何度かは、ベットで横になる。こんな毎日だと、過ぎるのがはやく、2月はとっくに行ってしまった。
そして、3月も、病院通いから始まった。
【さようなら! 肺がん】
3月1日(金)呼吸器外科、消化器内科 げっぷが頻繁で、苦しく、傷にも響くので、消化器内科に飛び込んだが、おなかの中を手術してますからね! ということで、さらりと流され、薬を処方され、様子見、二週間。
さて、呼吸器外科では。退院後の初外来だが、お別れだった。切除した組織の病理検査の結果、ガンは膵ガンの転移したもの=膵がん転移性肺腺癌だった。肺にできたガンであっても、膵がんの組織が、血液などで流れて肺組織に漂着して、周囲を癌化したもの。肺のガンでも性質は膵癌なのだそうだ。たとえ話は、日本人が、アメリカで子供を産んでも、その子供は日本人というのと、同じです。と、よくわかるような、ちょっと首をかしげるような説明がネットで読める。
というわけで、呼吸器外科の主治医とは、また切るようになったら、お願いします、その時はおいで、と会話で、退室してきた。