7月7日(金)
我々sw代が、農業を担う中心だったころ、15年も前のことで、60代になろうか、あるいはすでに還暦を過ぎたころ。皆、それなりに一生懸命、米つくりをした。農村に住んでいれば、当たり前のように、親の手伝いで、田植えも稲刈りも経験済みだし、小学、中学のころには、農繁期休暇も経験した世代だ。親が残してくれた機械類は一式そろっている。会社員であれば、少なくとも、退職金も出ただろうし、厚生年金も支給される。収穫したコメを供出したり、販売すれば、ある程度のまとまった金額が入る。春からの田んぼ作業の労賃として計算すれば、あまりの低賃金に驚くのだが。自己所有の水田の管理という観点で見て、納得していたようだ。
機械類は、古くなれば、故障もしてくる。修理代もばかにはならない。修理できず、買い替えを余儀なくされるほどにもなってくる。機械の種類はいくつもで、まとまると、とてもそれだけの投資をする意味がなくなってくる。我々世代にはもう、後継者はいないのだ。ぽつぽつと歯が欠けるように、米つくりを断念することになる。そうした水田は、かなりの大規模経営を進める農家に集約される。農協や、行政もそうした流れを推進する。そこにしか、米つくりの進む道は残されていなかった。10ha以上を経営する農家が、集落横断的に耕作するようになっていった。