※2月6日(木)、三陸新報に投稿として掲載いただいたもの。
気仙沼市役所の新庁舎建設場所が、「旧気仙沼市立病院跡地」とすると決まったようだ。三陸新報にも掲載されているが、市のHPにも市長記者会見資料として掲載されている。
https://www.kesennuma.miyagi.jp/sec/s002/020/030/050/010/100/010/2020-01-28_zaisei.pdf
私自身は、八日町の現在地に建て替えるべきだと考えてきた。気仙沼というまちの成り立ち、歴史を大切にすることと、日本、あるいは、世界の中での気仙沼というまちの独自性というか、個性を大切にすること、時間軸、空間軸の両面で、内湾周辺の街こそが、気仙沼の中心として位置づけられ続けるべきだと考えてきた。
私の青少年期には、南進気仙沼というスローガンが掲げられ、最近、震災以降は、西側、つまり山側に店舗や住居が移り、スローガンこそ掲げられないが、自ずからのように街は西進した。モータリゼーションの進展とも語られたところだが、海から遠い側に平地を求め、駐車場が完備された郊外型の店舗が増殖した。そこには、日本のどこにでもある風景が広がっている。別に気仙沼である必要のない、特徴のないどこかわからない街並み。のっぺらぼうのような郊外型商業地。
気仙沼の気仙沼らしさは、内湾周辺にこそ、ある。
世の中の趨勢に流されて、流れのままに市役所も西に押し流されてしまう。
現在の世の中の趨勢にあらがってでも、気仙沼の気仙沼らしさを守り通すような意志が欲しかった、というのはないものねだりなのだろう。
都市を計画する意志、まちのアイデンティティを貫き通そうとする意志。
ただ、まあ、市役所は、藩政期以前の、殿様がいましますお城ではないのだから、必ずしも中心に鎮座しなくてもいい、とは言えるのかもしれない。象徴性よりは機能性とか効率性重視でもやむを得ないのかもしれない。しかし、現在においても、市役所は、そのまちの中心を指し示す象徴性は保持しているはずである。
まあ、それはそれ。市の苦渋の選択は、現時点では可とせざるを得ない。
今日、ひとこと言いたいと思ったのは、そのことではない。
さて、今回の記者会見資料のなかで、内湾周辺こそがこのまちの顔だと語っていることは、正しい認識である。まさにその通りである。
「長い歴史に裏打ちされた風格と気仙沼らしい海と産業の香り,そして大震災後の幅広い集客を目指す建物群,新しい文化を取り入れ,まちづくり をしようとする息吹に満ちたこのエリアを改めて「気仙沼の顔」と位置付 けたいと思います。」
歴史、風格、海、産業、新しい文化、息吹。よき言葉が並んでいるといっていい。
しかし、その次に続けて、このエリアが、「外貨を稼ぐ」場所なのだ、という。
ここで、少々、頭を抱え込んでしまった。外貨を稼ぐ、か。
ここでの外貨は、文字通りの外国のお金であるだけでなく、首都圏や仙台圏を含む、市外からの来客が、市内で消費するお金全般のことを言っているに違いない。気仙沼がより魅力のあるまちになって、多くの来訪者、観光客が訪れ、結果としてお金を落とし、まちが豊かになる、まちのひとびとの生業が盛んになって幸せに暮らせる、そういうまちになればいい、というのはその通りである。結果として外貨が稼げるまちになる、というのはいい。しかし、魅力あるまちになろうとするとき、スローガンとして「外貨を稼ぐ」、「金儲けできる」とうたうのはいかがなものか?
ちょっと、内向きの説明に気を取られすぎたのではないか?こんなあからさまな本音、市外の人々に気取られてはいけないのではないか?本当は気取られてはいるとしても、こんなにあからさまにスローガンとして掲げてはいけないのではないか?これから作成する観光パンフレットに、まさか「内湾―外貨を稼ぐエリア」などというキャッチ・コピーは使わないだろうが。
私は、気仙沼の経済人は、決して単に金儲けしたいと思っているような人々ではないと考えている。不思議にディーセントな、上品な、そして不思議におしゃれな、時代の流れにも敏感な、そのうえで意気に感ずることのできる人々が集まっている、というふうに思っている。
すでに故人となった、ある先輩が、以前、金儲けばかりの文化不毛の地、などと自らの土地をさげすむようなことを言っていたものだが、それはあたらないと、ずっと思い続けてきた。今も、その思いは変わらない。
だからこそ、内湾周辺も、魅力ある場所に再生しつつあるのだ、と思う。だからこそ、多くのひとが集まる場所になりうるのだろう、と思う。
「外貨を稼ぐ」など、あからさまに声高に唱えないのが肝心、だと思う。