岩田健太郎氏は、神戸大学の医学の教授。「『患者様』が医療を壊す」(新潮選書)などの著書がある。1971年生まれとのこと。
先に、岩田+鷲田の対談、次に岩田+内田、3本目が三者の鼎談を収録する。
「はじめに」は、こういうふうに始まる。
「こんにちは。岩田健太郎です。感染症などを診ている医者です。」(9ページ)
うーん、これは、まさしく内田樹のような書き出しだ。
「本書は医療倫理に関する本です。」(9ページ)
なるほど、そういう本か。
「医療現場では倫理的な問題が山積みです。これをどう扱ったものだろうか。我々は毎日決断をせねばならず、「問題先送り」はできません。診断について、治療について、意思決定をくり返さねばなりません。」(14ページ)
医師というのは、毎瞬毎瞬、決断を迫られる職業に違いない。
私などは、とても耐えられそうにない。
「ぼくは考えました。こういうときは、対話が必要だ。…(中略)…対話の相手は決まっていました。内田樹先生と鷲田清一先生です。」(14ページ)
なるほど、なるほど、内田先生と鷲田先生、現在、最も頼りになりそうな思想家たちである。
「構成からして『イワタが内田先生と鷲田先生に教わりにいく』という主旨で作った本ですので、著者は、内田樹、鷲田清一、聞き手イワタとすべきだと思います。しかし、ご両人のたっての希望で、ぼくの名前が著者名にあがることになりました。」(15ページ)
私にとって、岩田氏は、はじめての著者である。「『患者様』が医療を壊す」というタイトルだけ見て、これは正しい、読むべき本であろうと観じていた。患者に「様」をつけることに、どうも違和感がぬぐえないでいた。これは変だ、おかしい、と思っていた。と言いつつ、読まないままにここに至ったわけだが。
内田樹氏は、ここ数年、ずいぶんと続けて読んでおり、我が師とも仰ぐべき存在と語ってきた。(少し、読みすぎたきらいもあって、このところは、一休みというところでもあったが。)
鷲田清一氏は、最近の哲学カフェの主唱者であって、名前だけは以前から知っていたが、昨年あたり、ようやく出会うことが叶った、これも、また師と仰ぐべき存在である。
そういう私にとっては、岩田氏こそ、ここで読むべき対象であり、鷲田、内田の両氏との対話から、岩田氏の思想、あるいは、医療についてのものの見方を学び取るということこそが、この対話を読む意義である。著者として、岩田健太郎名義であること然り、というところである。
しかし、まあ、さすがに鷲田氏であり、内田氏である。
第一部は、鷲田氏との対話、「医療はラグビーチーム型で」、第二部は、内田氏との「自分の身体の声を聞く」、第三部は、鷲田、内田、岩田の三者で「医療は社会の成熟度を映す」。
モンテーニュのエセーで当時の医学についてとやかく書いた章が、第五分冊にあって、これは、現在の医学生もぜひ学ぶべき、医療倫理、臨床医学哲学の原型、みたいなこと思って、このブログにもひとこと書いていたところであるが、鷲田、内田が、医療倫理について語っているこの本を、このタイミングで読めたこともまた意義深いところだ。
実は、この本は、気仙沼図書館の蔵書。最近、池上彰氏から、寄贈を受けて、池上彰文庫と銘打って貸し出し開始したもののうちの一冊。
池上彰文庫のラインナップは、私も興味をひかれる本が多いようだ。
そうそう、一か所だけ、引用しておく。「患者様」の弊害にかかるところ。
内田「患者様と呼ぶようになってから、病院が劇的に変化したと言うんです。「何が起こったんですか?」って訊いたら「院内規則を守らない。看護師に暴力をふるう、入院費を払わない患者が増えた」って(笑)。これは「患者様」のせいで、医療が売り手と買い手の商取引の場になったということです。…(中略)…市場原理を医療や教育に持ち込んだら、システムそのものが原理的に瓦解するということに、どうして行政の人たちは気づかないんでしょうね。」(250ページ)
まあ、そういうこと。
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