ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

高橋源一郎 ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた  集英社新書

2018-04-28 17:16:14 | エッセイ

 帯に「象徴天皇制、憲法9条、竹島問題――「小説」形式のまったく新しい社会批評!」とある。

 さらに「この本は21世紀版の「君たちはどう生きるか」を目指して書きました。」と。

 なるほど、吉野源三郎のあれか。

 いちど「君たちはどう生きるか」を読んでみるべきかもしれないな。まんがにもなって、ずいぶん流行っているみたいだけど。

 私の書くべき小説は、そんな小説なのかもしれない。

 さて、この小説の舞台は、山梨県にある全寮制(あるいはほぼ全寮制)の小中学校で、不思議な図書館がある。本を読んだことも、映画を見たこともないけど、ハリー・ポッターの魔法学校のようなところなのかもしれない。

 そこの寮の2階の図書室の、存在しない3階(少なくとも外からは見えない)に続く階段から、ふたりの年齢不詳の先生が現れる。

 肝太先生と、理想先生である。

 肝太先生は「カンタ」と読み、ドイツ語が得意らしい。

 理想先生は、そのままリソーと読み、フランス語が得意である。

 ネタばらしをしてしまうと、肝太先生は、カントに違いない。「純粋理性批判」や「永遠平和のために」を著し、人間の自由を深く考察し、国際連合の理念的な基礎を建てたと言われる、哲学者のカントである。

 理想先生はジャン・ジャック・ルソー。「社会契約論」とか「エミール」とか「告白」とかを書いて、フランス革命を準備した思想家のひとり。

 この本のなかでは、それらの古典の解説などはひとつも出てこなくて、平易な言葉で何かを語ってくれる。

 肝太先生は、こんなことを言う。

 

「わたしの考えでは、『おとな』というものは、自由にものを考えることができるひとのことです。そして、たいていのにんげんは、自由にものを考えることが苦手です。」(57ページ)

 

 人間は、自由であるはずなのに、自由ではない。基本的人権として憲法で自由が保障されているのに、実のところ、そんなに自由ではない。

 また、理想先生は、こんなこと。

 

「たいせつなのは『憲法』たちの『精神』なのだ。きみの家族の『憲法』たちの『精神』はなんだかわかるかい…(中略)…わたしが思うに、きみの家族の『憲法』たちには『憐れみ』の感情が込められている。それは、たいそう立派でたいせつなことだ。」

 

 「憐みの感情」。キリスト教の聖書には「汝の隣人を愛せよ」と書いてあるし、(ケセン語訳聖書の山浦玄嗣先生によれば「まわりのひとを大切にしなさい」ということなのだそうだが)、仏教でも慈悲が大切なものとして説かれている。

 「憲法」は、「憐みの感情」をもとにつくられるべきものなのだ。

 そして、「契約」のこと。

 

「きみのおとうさんとおかあさんは『契約』を結んだ。約束を忘れないために。その成果として、きみの家では『憲法』たちが生まれた、というわけだ。けれども、ほんとうのところ、たいせつなのは、『契約』でも『憲法』でもないのだよ。…(中略)…きみたちが守るべきなのは、その『家』であり、『家族』だろう?『契約』も『憲法』たちも、そのためにあるわけだからね。そして、そこが、きみの『家』であり『家族』でありつづけるために必要なのは、ひとつひとつの『憲法』じゃない。その『家』ができるときに生まれた『精神』なのさ。」

 

 そして、その『精神』が、『憐れみの感情』であると。

 

 さらにこの本を読み進めると、憲法上の「天皇」のこと、大都会の真ん中の森に住む天皇家らしきひとびとのこと、南方熊楠のような人物などが登場してくる。あとがきでは、こどものころ大英博物館で熊楠らしい人間に出会ったという、英国の女王らしき人物のこと。

 

 ちょうど中盤となる「10・キヨミヤくんのこと」、の節では泣かされた。キヨミヤくんは、発達障害らしいと自分で分かっていて、自分は負け組かもしれないという。

 

「ねえ、ランちゃん、ぼくのことを気の毒に思う必要はないよ。ぼくはおかあさんという重しを抱えて生きていかなきゃならない。そういう運命なんだ。おかあさんは、かわいそうなひとで、ぼくがいないとダメになっちゃう。この国では経済格差がもうすっかり固定してきたから、ぼくはもしかしたら、シングルマザーのおかあさんと一緒に、ずっと貧しいままかもしれない。いちばんいいのは、お母さんを捨てることだ。でもぼくはそれだけはできない。君は親から守られる存在だけど、ぼくのおかあさんは、ぼくが守らないといけないんだ。」

 

 母を捨てること、しかし、捨てないこと。なんとも、この健気な息子!

 このキヨミヤくんは、お母さんと一緒にランちゃんたちの学校を見学に来た子なのだが、結局、転校してくることはなかった。いつか、ランちゃんたちのつくる「くに」の「こく民」になることを約束して。

 と、この本は、ランちゃんとその3人の友達が、新しい「くに」をつくるというお話。現実のこの日本という国のあり方、成り立ちについても深く考えさせられる。しかし、読んだからといって、答えはこれです、というふうに簡単に解答を与えてくれる本ではない。

 いつもの高橋源一郎らしく、途中で投げ出されて考えさせられる、というたぐいの本、だと思う。

 あ、そうそう、冒頭にも登場してくるが、全体を通して、図書館が重要な場所として扱われていることも記しておきたい。

 

 

 


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