フジテレビ系で火曜日午後9時から放映中の『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマが面白くて、放映のたびにくぎ付けになって観ている。
【松たか子の品格、稀有なドラマ】
松たか子だからこそ成り立っているドラマだと思う。品格の問題である。松田龍平という役者もどう言えばいいのだろう、繊細だけれども確実な存在感がある。この二人がいれば、それでドラマが成り立ち、お互いが魅かれ合ってそれでお終いとなるところだが、そうはならない。そこにこのドラマの肝はあるのだろう。
このドラマには、違う引力が存在してしまう。あと2人の元夫sはもちろんだが、あっけなく死んでしまった市川実日子の存在も巨大だ。市川実日子は、現在、テレビのゴールデンタイムの、八方美人的な主演は難しいかもしれないが、11時以降の個性的なドラマや芸術的な映画作品であれば、主役を張って然るべき女優だ。
そういう5人の役者たちに囲まれて、松たか子の存在は、なおさら際立っている。
しかし、こないだの第6話では、エンディング近くまで、主人公が登場しなかった。とわ子を待ちながら、3人の元夫と、それぞれに魅かれる(魅かれた?)3人の女性のみでえんえんと大豆田とわ子についての話を語り続ける。不在なのに存在している。とわ子とは、一種の神のようなもの、であるに違いない。脚本の力ではあるだろう。このシーンの3人の女性たちも、それぞれに魅力的であった。アップに耐える、私として、きちんと感情移入できる人物として存在していた。しかし、それ以上に、不在のとわ子が存在している。松たか子のリアリティが、この脚本のリアリティを支えているというべきだろう。
ふと気づくと、この回は、最終盤まで、主人公が登場していなかった。登場していなかったからつまらない、ということがひとつもなかった。稀有なドラマであった、と思う。
と、まあ、それはそれとして、ちょっと書きたいと思ったのは、『大豆田とわ子と三人の元夫』のパラレルな作品の可能性についてである。そのどれもが、現在、うまく成立しないに違いないということ。
【パラレルな『大豆田とわ子と三人の元夫』の可能性】
そうだな、たとえば、壇蜜。
『壇蜜と三人の元夫』。
夜11時以降の番組としてはあるだろうな。あるいは、R18指定の映画。世の殿方には、垂涎モノの映像作品ということにはなりそうだ。
『吉岡里穂と三人の元夫』。
当然、星野源もキャスティングして、というと、これはこれで面白そうか。
R18指定にする必要はないかもしれないが、3人の元夫とのそこそこ危ないほのめかしは必須になるのではないだろうか?吉岡が、ちょっと上目遣いで、元夫それぞれと寄り添う、みたいなシーンは毎回登場する、とか。朝、ベッドで白いシーツに包まれて目覚めると、となりに男がいてびっくり、でも、酔っ払って単に寝てただけ、みたいなシーンが3人分、それぞれ一回は出てくるとか。
ま、これはこれで面白いラブラブコメディにはなるか。
つまり、いずれにしろ、ロマンティックなエロスが物語の全面に表現されざるを得ない。
いや、『大豆田とわ子』にも、脈絡のよく分からない入浴シーンはあったり、男と二人並んでマッサージを受けるシーンがあったり、二人きりのデートでいい感じになるシーンがあり、ほのかな心の交流が描かれるシーンもあるのだが、どれをとってもエロティックではない。これは誉め言葉である。
松たか子はエロティックでない。しかし、とても弥勒的である。あ、違う、魅力的である。
エロティックでないのに、ドラマとしてリアリティを保ちながら、3人の元夫と交流し続けることができる。これは稀有なことに違いない。
さて、もうひとつの可能性は、『大豆田とわ夫と三人の元妻』である。
松田龍平とか、岡田将生とか、オダギリ・ジョーとか、角田晃広とかで、とわ夫役と、元妻とからむ男優陣を配置すればいいみたいな。女優はだれかとか考え始めると話が長くなるので省略する。(というか、あまり意味がない。)
実は、ネットで見ていたら、脚本家とプロデューサーの最初の構想は、イケメン中年有能男性と3人の元妻の話だったらしい。これには、心底驚いた。そんなのは、今日日、絶対にありえないと思い込んでいたからだ。
50年昔だったら、小林旭主演の、西部劇ふうで荒唐無稽なラブ・コメディとして存在し得たかもしれないが、今は、無理だろう。2時間ドラマの推理ものか、ほんとうに真面目な社会派作品とするか、でなければ、アダルトな需要に応える作品か、そのいずれかはもちろん、可能であろう。いずれ、旧来の、紋切り型の「男とは、女とは」というイメージの枠内での作品となってしまう、ということである。つまり、現在の洒落たコメディには、決して使えない設定である。
【人間の新たな関係性】
ということで、『大豆田とわ子』は、現在の、まったく新しい女性の生き方を提示するドラマたりえているのではないか、というお話である。現在の日本の社会の進んでいる方向をを指し示し、男と女の新たな関係性、つまり人間の新たな関係性を表現するドラマ。
大和田とわ子にしても、友人(にして恋敵)・かごめ役の市川実日子にしても、エロティズムで描かれてはいない。その点がとても新しいのだと思う。3回も結婚して離婚した女の性がほとんど全く描かれていない。いや、もちろん、前景に描かれてはいないが、性は、実在したわけである。(むしろひょっとしたら、とわ子とかごめの間にこそ、性的な交わりはあったのかもしれない。などと言っても、もちろん、どこまでも憶測でしかない。)
このまったく新しいドラマを成り立たせている松たか子の品格は、恐るべきものである、と私は思う。松たか子が体現するリアリティ。脚本も、スタッフも、共演するすべての俳優たちも素晴らしいが、なんと言っても、松たか子である。
さて、次回は、オダギリ・ジョーと、どんな展開を見せてくれるのか。楽しみである。
※実はこの文章は、最近読んだこの本からインスパイアされて書いた、とも言えるところがある。
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