ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

天野祐吉 成長から成熟へ―さよなら経済大国 集英社新書

2014-01-05 23:26:02 | エッセイ

  天野祐吉さんは、1933年生まれ、博報堂を経て、雑誌「広告批評」を創刊、編集長を長く務めた。そして、最近お亡くなりになった。もともとは、コピーライターとかCMプランナーなのかと思っていたら、そうではないようだ。博報堂の前に、創元社で編集者をしていて、博報堂でも「ぼくがやることになったのは、…『広告』というタイトルの博報堂自身のPR誌の編集でした。」(65ページ)ということで、広告の制作者ではなく、編集者として、広告についての批評家のようなスタンスにいたひとだったらしい。なるほど、そうだったのか。

 現代社会における広告のあり方について、良きところ、悪しきところ、両面をきっちりと見続けたひとだったのだ。

 東京の千住生まれのようだが、戦争中は疎開して松山の旧制中学校や新制高校を出ているようなので、考えてみると、大江健三郎や伊丹十三とほぼ同世代だが、当時の松山で交わりはなかったのだろうか?まあ、それはさておき。

 広告代理店の博報堂に入って、「それまで読んでいたのは、もっぱら文学系のものだったのに、急にピーター・ドラッカーさんとかパッカードさんとかを読まないといけなくなる。そういうものを通して知ったのは、『大量消費社会』の構造とか、大量生産・大量消費のシステムといった怪物的な世界だったんですね。…/そこで知ったあれこれを受け売り的に紹介していくと、大量消費社会(大衆消費社会)というのは、二〇世紀が生んだきわめて特異な産物なんですね。その登場を派手に告げることになるファンファーレは、一九〇〇年にパリで開かれたパリ万博です。夏目漱石さんもイギリスへの留学の途中に立ち寄って驚いた…」(35ページ)

 今の私たちが生きている世界は、「特異な産物」であると。20世紀になって、世界は、何か、人間らしさから遠く離れた異常な世界となってしまった。

 これは、確かにそうなのかもしれない。

 日本も、その異常な世界の中にある、というより、ひとつの典型でもあると言って間違いはない。いわゆる高度成長の時代に、物質的な豊かさの追求のなかで、人間らしさが失われたと多くのひとびとが感じ始めていた。

 そんな中で、人間らしさを取り戻そうとするような優れた広告も生まれた。

 作家開高健が書いた、サントリーのウイスキー、トリスの宣伝である。

 

  「人間」らしく

  やりたいナ

 

  トリスを飲んで

  「人間」らしく

  やりたいナ

 

  「人間」なんだからナ

 

 この広告について、天野はこう書く。

 「のちにこの広告は、寿屋(現サントリー)の宣伝部にいた開高健さんが書いたものだと知りましたが、モノやカネの豊かさだけにふりまわされているような当時の世の中への怒りのようなものを、ぼくは感じました。/…思えばこの時期から、ぼくらは『経済大国行きの夢の超特急が出るぞ!』という政府の声につられて、われ先にその超特急に乗り込んでいきます。でも、それは人間的な豊かさを探す旅というよりは、物質的な豊かさを求める旅だったのです。」(88ページ)

 あの作家の開高健(と同じく作家で先輩にあたる山口瞳)が、作家となる前に、サントリーの宣伝部にいたことは、良く知られた話である。

 

 さて、広告と言えば、糸井重里の「おいしい生活」。1982年、私が26歳のころ。

 ここでも、優れた広告の役割は、同じである。社会のありように対して疑問を呈する。違うかたちを提案する。

 「『生活そのもののカタチを考え直そうよ』という提案をストレートに打ち出した広告が、いち早く八二年に現れました。/『おいしい生活』-西武百貨店の広告です。コピーは糸井重里さん。」(115ページ)

 「『おいしい生活』を標榜したこの広告は、もっぱら『豊かな生活』を売り物にしていたほかの百貨店との差異化にみごとに成功しました。」(117ページ)

 「当の糸井さんは、…『あれ、言葉自体にアナーキーなところがあるでしょ。(……)『おいしい生活』なんてほんとはないんですよね。シアワセの青い鳥にすぎない。…(……)でも、変なこと始めちゃったなあ』/…堤清二さんと糸井さんが考えていたのは、当時の行き詰った消費社会を、大量生産と大量消費をベースにした成長主義の呪縛から、すこしでも解放する方向に持っていこうというところにあったのではないか。そんなふうに見ることもできそうです。」(118ページ)

 ところで、糸井重里と言えば、晩年の吉本隆明の一番の理解者で擁護者であった。天野も、1990年代の状況について語るのに、吉本を引いている。

 「ある日。吉本隆明さんの書いたものの中に、こんな一節があるのに出会いました。1990年代半ばのことです。

 『(……)資本主義がいま、産業経済学的に消費過剰という段階にきて、どん詰まりのような状態になっているという認識を僕は持っています。所得のうちの五〇パーセント以上を自由な選択に任せられるという、現在の日本人の置かれた状況は、もう資本主義じゃない、何か別の世界であるといわざるをえないです。人々の意識がついていかないために、便宜上、まだ資本主義と言ってはいるけれど、実質はもう違ってしまっています。こういうなんとも名付けようのない状況のなかで、根本的な価値観の転換を迫るような問題が生じてくるのは至極当然なことです。』(「消費資本主義と日本の政治」『諸君!』九五年九月号)」(166ページ)

 ぼく自身は、天野祐吉氏の語ることは、全くその通りだと思う。「成長から成熟へ」という主張に、全く同意する。

 「根本的な価値観の転換」が迫られているわけだ。

 しかし、こうして、引用を並べてみると、20世紀のことのはじめから、60年代、80年代、90年代と、問題は、全く変わっていないようだ。

 そして、広告の役割も変わっていない。

 99パーセントの凡庸な広告は、時代の流れに棹さして、成長主義の片棒をかつぐのだが、優れた1パーセントの広告は、時代に疑問を呈し、時代を変革する意図を持つと。

 それは確かにその通りだろう。

 しかし、一方で、その優れた広告(たとえば、上に引いた、開高健や糸井重里の名作)は、結果として、そのクライアントの売り上げを増やし、成長の原動力となったのではないだろうか?

 天野自身の広告の批評は、「成長から成熟へ」の価値の転換を主張しようとして、むしろ「成長」自体を後押しする役割しか果たさなかったのではないか?

 ここには、確かに大きな矛盾がありそうだ。

 だがしかし、だからと言って、ぼくは、天野を批判すれば済むのだ、とも思えない。そういう天野の立ち位置は、ぼく自身と全く同じだと言っていいのだと思う。

 正直に言って、「おいしい生活」は、ぼく自身が成人以来すっと追い求めてきた生活だ。そして、それは、一定程度実現している。この小さなあばら家での生活、ではあってもだ。

 この論点は、もう少し、詳しく論じてみるべきポイントだ。少し、先送りにして置く。

 繰り返しにはなるのだろうが、もう一か所引いておこうか。

 「たしかに、どこの国の人だって、電気洗濯機や電気掃除機や電気冷蔵庫やカラーテレビがあったほうがいいと思うでしょう。クルマだって、あれば便利に違いありません。が、それぞれの国の生活文化との調和を、それぞれの国と話し合いながら商品を輸出していくなんてことはありえません。先進工業国が激しい競争を演じながら自国の商品を強引に売り込むことになる。その結果は、途上国を荒れ地にするだけじゃない、エネルギー問題や環境問題を深刻化させることにもなるでしょう。/自分たちだけいい思いをしておいて、途上国の邪魔をするのはけしからんという声もあります。が、『いい思い』をした結果がどうなっているか。それを考えたら、強引なグローバル化に反対する人が出るのは当然のことでしょう。」(171ページ)

 天野祐吉の主張は、全く正しい、とぼくは思う、しかし、その正しさは、もっと論証されなければならないのだ、と思う。なにかもっときちんと説明しなければならないと思う。さて、どう説明できるのか?ここに課題がある。ぼくにとっての課題だ。そして、恐らくとても大きな問題だ。

 最後のところで、天野は、哲学者の久野収から聞いた別品ということばを記す。

 「別品。/いいなあ。経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。『別品』の国でありたいと思うのです。」(212ページ)

 これも、まったくその通りだと思う。競争などする必要がない、面白いと思える局面以外では。


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