表紙は、あの宇野亜喜良によるイラスト。なんとも魅力的なかわいい女性。表紙の上部左側に、「ni」と書かれた天ぷら、その脇、ほぼ中央、手にした菜箸の先、「shinai」と書かれた天ぷら。
つまりは、「嘘の天ぷらにしない」と読むのかと思ったら、カバーの折り込んだ先に、「hitori」と書いた天ぷらがあって、タイトルとは別に「ひとりにしない」となる。
これは、女の子が男に「ひとりにしない?」と問いかけているのか、逆に男が「ひとりにしない」と決意を述べているのか、あるいは、友達同志で、「ひとりにしない、共にいるよ、寄り添っているよ」と共感の言葉を発している、ということなのか、あるいは、ああ、そうか、男の発した「ひとりにしない」という言葉が、それこそ「嘘」なのであって、この女の子はそういう不実な男の言葉を天ぷらにからっと揚げて料理してしまう、ということか。
ふむ、きっとそうに違いない。
というふうに、この表紙は、詩集の内容について、想像たくましくさせる効果がある。とても魅力的な表紙である。
などと書いていたら、表紙をめくった巻頭詩がまさしく、その絵そのものの内容であった。
今夜も
一人で揚げる
薄衣をつけた
あなたの言葉を
ジュワッと揚げる
もう
わたしを一人にしないと
約束した言葉を
歯に衣を着せた
あなたの優しさを
心、焦がさぬように
丁寧に揚げましょう
何がホントで
何が嘘
騙され続ける幸福に
サヨナラ言って
涙をこらえて
カラリと揚げましょう
嘘の天ぷら
傷つく前に
一人で食べる
なるほどね。正解。
など言って、もちろん、いま、書き始める前に一度通読しているので、その記憶があったに違いない。
断定的に「嘘」だと言えるわけではなくて、「嘘」なのか、そうでないのか、断定できず宙ぶらりん、だから、なおさら苦しい、ということになるか。
佐々木貴子さんは、秋亜騎羅編集 季刊ココア共和国vol.21(あきは書館)で、小詩集「学校の人」という特集が組まれ、出会ったのが最初である。
あ、これは、と、ぐいぐいと引き込まれ、読み進めた。
その際のタイトルとなった「学校の人」(18ページ)を引用する。
「わたしは透きとおっています。小学校4年生の時、近所のおばさんが「あんた、透きとおっているわよ」と教えてくれました。教科書に出てきた「透明」という言葉。実は、わたしそのものだったようなのです。」
この透明は、美しい透明ではない。
「胸が苦しくな」る透明である。
しかし、「すごい」ものでもある。
隣の席の男子から「臭い」と言われるような透明。
突然、泣きたくなるような透明。
「うれしくて、かなしくて、苦し」い透明。
マイナスのイメージと、プラスのイメージが交錯しているが、もちろん、ここでは、マイナスのほうが先行している。
教室の中で透明であること、とは、端的に言ってしまえば、無視され、イジメられていることにほかならない。プラスのイメージの部分は、もちろん肯定的でもあるが、強がっているだけ、とも感じられる。
巻頭詩も、強がりの詩であった。もちろん、客観視する視点があるから面白く読めるのであるが。
心理学、精神分析、社会心理学、教育心理学、教育学などをかじったことのある人であれば、興味深く読み進められる詩である。
佐々木さんは、スクール・カウンセラーの経験があるかただろうか?
彼女は、宮城県詩人会の会員で、8月に行った詩人会のイベント、ポエトリー・カフェの一環として、私が担当でファアシリテーターを務め、「気ままな哲学カフェat仙台」を、「オープンダイアローグを読む」というテーマで行った際、参加いただいた。感想として「久しぶりに頭が、ギシギシとフルに回転するような機会だった」とおっしゃっていただいた。そのあたりの造詣が深いかたであることは間違いないところである。
あ、そうかそうか、ココア共和国の著者紹介に、学校教育学博士とある。さもありなん。
(参照)
佐々木貴子小詩集「学校の人」 秋亜騎羅編集 季刊ココア共和国vol.21 あきは書館から
https://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/20875e510a162a5cc1029214a6b130ab
鈴木翔「教室内(スクール)カースト」光文社新書。解説本田由紀。
https://blog.goo.ne.jp/moto-c/e/75c44753886848a5ea9c9a3cfa1f5b07
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます